頑張った主婦の海外旅行記―ハワイ40年の思い出

ハワイ話の続きです。

ハワイは 車で 半日もあれば くるっと回れる島がほとんどです。

まあ、一般にハワイハワイといえばオアフ島のことですが、ほかのマウイ島やハワイ島なども似たり寄ったりの大きさで 大昔、大航海でたどり着いたハワイ人たちが 王国を作ってすんでいました。

のちにアメリカになったのが明治のころでしょうか、ハワイ王朝から 皇室に花嫁を迎えるなどという話もあったようです。

こういう、歴史話は ハワイの ビショップ博物館で 学ぶことができます。

わたしたちがハワイに行きはじめた 昭和の50年代、オアフ島もとっても雰囲気のある島でした。

先にも書いたビーチなども ワイキキは人が多いですが、アラモアナはさみしいくらいの人の少ないのんびりできるところ。

毎回、人種不明なほど焼き上げました。

ワイキキは 人工ビーチすが、アラモアナは もとからあったらしく、でも 南の海の白砂と青い遠浅の海でよく泳ぎました。

遠浅といっても少し行くと まあ足はつかないくらい、潮がとても速く のんびり横に泳いでいても きがつくと 岸から離れて怖い思いをしたこともあります。

アラモアナは 昔からショッピングモールがあって 道路を渡れば ビーチに行けるし、便利で 子連れ時代は もう、アラモアナばかりでした。

最初の新婚旅行の時に ワイキキで 一緒のツアーの若者が 置き引きにあって 荷物紛失。その印象で 何だか、ワイキキをさけていまして、ほとんどそちらでは泳いでいません。

オアフ島は ノースショアといわれる北側にもきれいな海岸があり、波が高いので サーファーの 集まるところのようです。

最近はシャークウォッチングとかもできるようです。

わたしたちが泳いでいた時代は 観光トロリーで 北になど行けなかったので

いく習慣ができませんでした。

ホノルルのメインストリート、カラカウア通りはいつも メインストリート。

いまのように 観光トロリーが日本の旅行社や航空会社によって回されていないころは 市バスのザ・バスか ワイキキトロリーを使うか、タクシーか徒歩が移動手段。

わたしたちはバスか徒歩派ですので 大体歩き回りますが、そのころは バスを使う自信もなかったことも歩きまわりの原因ではあります。

今ではバスも電光掲示板がついて 次の停留所が どこかわかるものもあったりしますが昔は なにも放送はなく 窓の近くに渡されたひもを自分で この辺だと思うあたりで 引っ張ると 日本のバスで ブザーを押したのとおなじことになって

とまります。

その場所が自分の思ったところかどうかは きになるところ。

あたれば よし、外れれば 勿論携帯ナビなどないですから地図に頼ります。

市バス用のブックレット等もABCストアで売っていました。

このABCストアだけは ほとんど変わらず頑張っていますね。

コンビニ状態ですが チープなお土産屋 食品もあるので 便利なところです。

今でも40年前と同じ、お土産があったりして驚くことも。

ワイキキの街の中もアラモアナも ローカルのお店が たくさんありました。

今のようにブランドショップが 軒を並べることなどなかったのです。

ワイキキのダイヤモンドヘッド側のはじには 映画館がありました。

はじめての時にみつけて その時していた映画は プライベートベンジャミン。

ゴールディーホーンのコメディですが、そのころは 洋画などもあまり詳しくなく、よく知らないので どんな映画かもわからなくて看板を見ていましたが 今思えばコメディでしたね。

でも勿論、そのころ、映画が英語で 理解できませんでしたから みなくてよかったです。その映画館のまえあたりをあるいていたときに突然アメリカ人の観光客とおもわれる 白人のシニアの男性が何かの発作かを起こしたのか、ばったりたおれて 驚きました。

周りに人がいたので 直ぐみんなが助けによっていきましたが、大丈夫かなーと思ってあげることしかできない英語のわからん日本人カップル。

おもえば そのころは ハワイは アメリカの人が バケーションに多く来ていましたね。

今では世界中から人が来ていますが、アメリカ人の国内旅行先という感じがより強い時代だったようにおもいます。

そのころからある ハレコアというホテルは アメリカの軍関係者や退役軍人の方などが多く利用するところで ふつうの人は入れませんが 素晴らしいところのようです。今でも変わらずありますね。

ワイキキのはずれヒルトンホテル群のある傍らのうみがわにあります。

ハワイで有名でずっと変わらないところ、いくつも他にもあります。

微妙にマイナーチェンジはありますが、日本の目まぐるしい推移から考えると寿命は長そうです。

ドールのパイナップル工場見学コースも昔からあります。

最初に行ったとき、取れたてのおいしいものが たべられるだろうと楽しみに行きましたが まだ酸っぱい若いものが 出てきて 塩が添えられていたのを覚えています。

いまでも 観光的には大きくしていますが 一度で懲りてしまったので いまは 甘いかどうかもわかりません。

シーライフパークや パールハーバーの記念館、ポリネシアン文化センターなども古くからあるものですね。

ビショップ博物館なども古いです。アクアリウムや動物園も古いですが 中身は結構変わっています。でも ところ。小規模でも相変わらずにぎわう楽しいところ。動物園などが在る側のクイーンカピオラニ公園のあたりでは コダックショーというフィルムのコダックが スポンサーになる無料のフラショーが あったのですがこれも最近は みかけない。

日本がバブルで わいたころは世界もわいていたのか、いろんな無料催しがあったような気もします。

ハワイに行くのにも安くて 5泊7日なら49800くらいで いけたり。

いまは かのてるみくらぶもつぶれ ハワイは結構価格のはる旅先になっていると思います。

結婚して10年くらいの頃が丁度バブルになりつつあり、そのころこどもが 二人いたので子供たちは しょっちゅう ハワイに行く恩恵にあずかりました。

もう少し、ハワイを思い出しましょう。

値段勝負ではなく、こだわりの内容のツアーを追求している旅のエキスパート






 

 

緊急報告コモド島閉鎖へ―コモドドラゴンを守ろう

コモドドラゴンは貴重な 大型爬虫類です。

インドネシアのコモド島とリンチャー島に生息し、大事に保護されていますが、

個体数減ってきていて、インドネシアが憂慮して 、2020年からの 観光客のコモド島への入島を禁止すると決められました。

リンチャー島へは 禁止にはならないようです。

実際にいった方によると、 コモド島は かなり管理されていて リンチャー島のほうが 野生感が強いとか 言うことのようです。

ですが、こちら巨大なうえに、 いたって、危険な 生物。

人間は 勿論食事としてみなすであろう、猛獣です。

それこそ、ティラノザウルスなどの 古代の恐竜を思いおこすような 生き物で、

みたいとあこがれる方も結構、いらっしゃるのではとおもいます。

嫌いな方は 絶対嫌いですけれどね。

わたしは見たい派。

この閉鎖の記事を見たときは 大ショックでした。

最近は クルーズで 旅行に行くのにはまってまして、旅行は 船ばかりで

そういえば コモド島を通る船あったなとしらべて みたのですが、

ええええええー 年内には ほとんどない。

帆船のウィンドスターでバリから行くのがありましたが、訪ねるのは 1日だけ。

ほかには バリ島から オプショナルツアーで行くことが多いようですが、

けっこう、値段は弾みますし、バリは今あまり 興味がないところで、

でもな何とかと捜してみましたら、 ありました。

クラブツーリズムで コモドドラゴンに会いに行くことを重視した、添乗員さん付きのツアーです。

ほかに、ピンクビーチや、蝙蝠の群れもみられるらしいし、コモド島とリンチャー島両方まわりますし、ばっちりです。

これは もう 行くしかないと 問い合わせました。

年内何回かあるようです。

そして 、知りませんでした、大事なことを知らされました。

ななんと、74歳になると コモド島には 入島できないらしいのです。

その微妙な 74歳という年齢の意味はよくわかりませんが、インドネシア政府が決めていることらしといのです。

あの、コモドドラゴンのスピードから逃げられないからか?!

とも、おもえます。そして、なおかつ、このツアーは 暑い中トレッキングになるので 大丈夫でしょうか?とも言われました。

その辺は 結構大丈夫そうです。

インドネシアは 熱帯なので雨季は 雨が多くて暑い、夏場が乾季で暑いが、日陰なら爽やからしい。

そして 虫はたっぷりいますので、虫よけも必須です。

このように いろいろのことがありますが、やはり、あのドラゴンに会いに行きたいですね。

地球の気候はきびしくなるらしいし、絶滅してしまう生物も増えるらしい。

できることなら 今行くのが いいかもしれません。

閉鎖も1年といわれていますが、確かではありません。

貴重な生物を保護するためには 大事なことですが、見せてもらえるうちに

いける方は トライしたらいいかもしれません。

 







頑張った主婦の海外旅行記―ネット無しデジカメ無し英語下手でも世界へ出かけました

本が大好きな子供でしたので 世界には ずっとあこがれは持っていました。

亡くなった祖父に 英語ができたらアスワンハイダムのアブシンベル神殿に連れて行ってやるとによく言われていましたっけ。

じっさい、英語ろくにできなくても、実はアブシンベルには 行けたのですが。

今は クルーズにはまっていますが、 縁で 学校卒業後すぐにお嫁に行ったわたしは初めての海外旅行は 新婚旅行のハワイした。

短大出て直ぐ、2か月後。

結婚式よりは一週間ほどあとでした。

嫁いだ相手が 結構な海外志向の人で ラッキーなことにそれから子供なしでも子供連れでも 子供いなくなった後もいろいろ、旅することができました。

バブルのころも結構、行きましたし、もちろん昭和の終わりごろもいきました。

そのころは インターネットがないので 電話や雑誌やパンフレットを駆使して 安いツアーを見つけたりしましたし、 デジカメも携帯ももちろんないので、最初は8㎜フィルムというものをつかって ふつうのフィルムカメラです。

ですので 記録はアルバムかフィルムなので 写真を載せることが できません。

でもいつも面白いこと驚くことも ツアーでもそうでなくても満載でわたしはいつも 旅の虜でした。

たいへんなこともトラブルも多少はありましたが

飛行機事故にもバス事故にもテロにも巻き込まれずに今まで やってこれました。

この運命に感謝して また あの面白い思い出を 思い出してみたいとおもっています。

2014年からは はまった クルーズで 陸系の旅行はめっきり減りましたが

その中でも 特殊な場所などやシチュエーションは やはりツアーを使うこともありわずかに写真をお見せできるかもしれませんが、

基本ほら吹き男爵波に、面白い楽しいとおもえるお話で 楽しんでいただきたい。

さあいままで 自分では数えて居ませんがいくつの国に行けたことでしょう。

まだまだ、残ってるところも多いかもしれません。

昔のその場所が今と全然違うこともあります。

けっこうかわった場所は いくつもありますが 何度も言って、その変化を目の当たりにしてきた場所とおもえるひとつがハワイです。

そうそう、私のハネムーンの場所。昭和のころはハワイのハネムーンっていいところになっていたようです。

私の両親の時代、昭和の中頃は まだ 熱海とか箱根や伊豆大島などでしたが

もう私のころは やはり、海外。で、やはり南国の海で、ハワイでしょう。

夫の学生時代の友人が住んでいたこともあって ハワイへ、これも親戚のコネで

キャンセル待ちのツアーをゲット。

ハネムーンキャンセル待ちって・・・とその時、新婦のわたしは思いましたが、

どちらにしてもハワイは魅力でした。

近畿日本ツーリストのツアーで 宿泊はアラモアナホテル、これもえーワイキキじゃないんだと若いころ故、思いましたね。

言ったらとても良かったのですが。

まず、このツアー、添乗員さんが」ついていらっしゃいましたが、どうもハワイというのは まるで添乗さんの研修ツアーのようなものだったらしく

サラリーマン風のスーツに大きな通勤バッグを斜めがけ(このころは客のパスポートを預かったりしてましたねそれ用でしたかも。)

飛行機から、降り立った時もだいぶ、よれられて、大丈夫かという感じでした。

わたしは初めてだし、英語もわからないので 添乗及び、夫にしっかりくっつき、夫は スーツケースにたっぷりの8㎜フィルムと片手に8㎜カメラを持ての道中でした。

ごく一般的に タンタラスの丘やパンチボウルなどを回り、カメハメハ王の像にも拝謁。

ホテルは 昔から3時過ぎにチェックインです。

そしてついたアラモアナホテル。

いまは高級ホテルでクラスも上ですが そのころ、昭和のころは

何っと ロビーに屋台がいたんですよ。

あのインスタントラーメンのチャルメラの袋に書かれているような あの屋台が

ロビーにです。

色んなものを売っていましたが、印象として覚えているのは おにぎり。

のちに息子を連れていき始めたときしばらくお世話になった屋台でしたが、数年後には無くなりました。

お部屋は アラモアナビーチが見渡せるし、隣は アラモアナショッピングセンターで 実はとても便利でした。

でも最初は わからなくて 夕食をどこかで食べようと裏のほうへ探しに行って

シェイキーズがあって はいって 注文したら 直径40cmはあるピザが2枚きて おおびっくり。

アメリカはなんでもデカイときいていましたが、🍕で実感。

ツアーは ホノルルとオプションで カウアイ島にゆきシダの洞窟を訪ねるオプションをさらに入れてありましたので、ホノルルにいるうちに 夫の友人に会うことに。

車でホテルに迎えに来てくれて、裏のほうの 西海岸とか そのころ、車で行ける限りのところを回ってくれました。ドールのパイナップル工場見学は今でもありますね。レインボーシェイブアイスなどもそのころからありました。

そして こんどは ダイヤモンドヘッド側に行ったときに 新興の住宅街に案内され、一つ買わないかこれからいいと思うよと勧められたことがありました。

そのころの日本円で 800万とか一千万円くらいといわれたところ。

途中立ち寄ったモールは さびれてなにもなかった記憶があります。

友人はこれからいいに違いないので 自分も資金があったら、買いたいんだがと

熱心に言ってました。

そこがいまやあの有名なセレブの別荘の立ち並ぶカハラモールでした。

本当、買っておけば 今頃こちらもセレブになれたかもしれないですね。

そういう意味でもハワイはどんどん、変わってきています。

インターナショナルマーケットプレースの屋台が立ち並ぶお土産屋の固まったワイキキの名所も数年前になくなって おしゃれな ビルのモールになってしまいました。あの屋台の人たちはどこへ行ってしまったのでしょう。

ハワイは 新婚旅行依頼、家業の関係でも用事があったので 定番の旅行先となりずいぶんと通いました。

アラモアナショッピングセンターもその間にとても変わったんですよ。

昔は地域のショッピングセンターでロコが通ってきていました。

いまは 高級品などが たち並び、店もくるくる入れ替わっています。

昔は 白木屋という 日本の三越デパートの 前身の白木屋ので店が 大きくあって日本風のものや食品がおおくうられ、にぎわっていました。

デパートもリバティハウスというアメリカのデパートと シアーズ、jcペニーというストアだったのが ニーマンマーカスなどの高級デパートに変わりそれも 結構出たり入ったり。

ローラアシュレイも28年前くらいはまだ、アラモアナショッピングセンターに出店もしていました。

でも 街は変わってもあのアラモアナ公園からビーチに行く道とか橋とかは結構変わっていなくて懐かしいです。

あのビーチは それこそ新婚のころは 人が少なくてまだ禁止されていなかったので,早朝にビーチで鳥のパンくずやポテトチップをまいて呼ぶとたくさんのとりがあつまってきました。

ふつうのハトや白いはと、発情が「ぽぽぽぉーとかわいいウスユキバト、スズメ―ハワイのスズメは 大きいのと小さいのがいます。

そのほかに九官鳥ぽいウィキウィキも。

そのほかに有名なカーディナルもきて 感動でした。

あのビーチでは しばらく 鳥寄せができましたが、いつか禁止になりました。

今は出来ませんが ピクニックなどをするとやはり飛んできます。鳥といえば

文鳥は ハワイでは 野鳥でした。

ワイキキと アラモアナとの間くらいの軍の博物館のあたりに大きな芝生があって

文鳥が 幾羽も飛んでいました。

何処かから逃げ出したのかとおもいましたが、どうも野鳥の様でした。

そんな文鳥たちも今はあまり見かけません。

ダイヤモンドヘッドがわの カピオラニ公園のあたりには まだ飛んでいるかもしれません。

ハワイは子供と年寄りにしんせつですし、気候もよいし、日本からも程よい距離で

本当に行きやすい観光地。

そして 意外と蚊も少ないのです。

そして 、野生では へびが居ないんですよ。

これは ハワイはサンゴ礁や火山の隆起でできたかららしいんですが、

後から、書きますがオーストラリアなどは 怖いものが いっぱいいるようです。

ニュージーランドとハワイはへびがいないんです。しつこいんですが、そのせいで多くの鳥がいたんですね。

古代のハワイ人の素晴らしい鳥の羽根を使った装飾品が博物館でもみられます。

家じゅうでハワイに行きまくりましたので 東京に50年以上住んでいる私が

銀座にいった回数より、ワイキキにいた数のほうが 多いくらいです。

もう少し続くハワイ話です。

<a href=”https://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=35DJ1T+3KN6I+2ZBM+63OY9″ target=”_blank” rel=”nofollow”>
<img border=”0″ width=”728″ height=”90″ alt=”” src=”https://www29.a8.net/svt/bgt?aid=190427825006&wid=002&eno=01&mid=s00000013909001025000&mc=1″></a>
<img border=”0″ width=”1″ height=”1″ src=”https://www13.a8.net/0.gif?a8mat=35DJ1T+3KN6I+2ZBM+63OY9″ alt=””>

 







マダムキュリアスの進化お知らせ―クルーズマンズへ

何時も、ご覧いただいてありがたく思っております。

私の体験や 気づきが 皆様の海賊化のお役に立っていると、信じております。

今月後半から、クルーズ系記事を クルーズマンズとのコラボで 探しやすい、

使いやすい状況にすることになりました。

https://cruisemans.com/b/madamcurious

クルーズマンズは ネットの中で 多くの方から集めた情報をいっぺんにみることができる、便利なサイトです。

このマダムキュリアスは これからは クルーズでは ない、旅の情報を提供していこうと思っております。神社などが たくさん、ひかえておりますので。

ぜひ、クルーズマンズのほうでも たくさんの情報をゲットしてください。

私はずっと、海へのお誘いや旅のインフォーメーションなど発信しつづけます。

楽しいクルーズや 世界に であって、人生のぺージがより多く、増えてきますように。

人生たびつづけます。



パーマストンノース―ニュージーランド学園都市の日々

パーマストンノースは ニュージーランドの 平均的な都市といえるでしょう。

おおよそ、とてつもない大金持ちもあまりいないし、とんでもない貧しい人もいないような比較的格差のないところなので 街も平均化するのかもしれません。

でも みんな、ゆったり、くらしています。

福祉の良いところは せかせかしないでいいのでしょうね。

実際は マオリ問題とか 良い医者が 給料の安い無料の医療施設にいないとか

それなりに 問題があるようですが、

若い人でも 気軽に子供を持つし、痴ほうのご老人が うろうろしているのも 見かけない。

暮らしよい雰囲気は 滞在すればするほど かんじます。

もちろん、もっと 良い国も悪い国もあるでしょうが 日本とくらべてみると 個人的には いいなと思うのです。

そして パーマストーンノース、古くは 入植者が入って 開墾し、現在は 前にも書きましたが ニュージーランドで唯一の獣医科系大学の マッセイ大学があります。

そもそも、ニュージーランドには 私立大が 無く 全国で 8個しか 大学はありません。

ニュージーランドでは 全員が 大学に進学するわけではなく 高校の時に 進路を選び、大学進学しない子供は 3年で高校を卒業し 進学希望の子は さらに1年勉強して 望みの大学を受けます。

決して肩書とりではないので 進学しても 卒業後 、就職しにくい場合もあり

うちでも、理科系に進学した上の子供は 就職できずに 帰国して 日本で働いています。

下の子は 専門職系でしたので 選択肢も多くあり いまは オーストラリアで 働いています。

欲にキーウィ―イングリッシュといわれる ニュージーランドの英語ですが キングスイングリッシュに近い きれいなものです。

パーマストンノースにも 大学のほかに多くの語学学校があり 世界各地から 生徒が来ているようです。

学校といえば あちらでは ポピュラーな 職業訓練校も あり 全体に 学生の多い街といいう 感じです。

街の中心地を外れると きれいな住宅街が 多くあり、お庭拝見の 結構なルートです。

街はずれに ヴィクトリアプロムナードという 大きな公園があり

植物園や 子供の遊び場、小さな動物園、大人も乗れるミニ汽車やスポーツグラウンド、プール カフェやなどもあり、 それこそ市民の憩いの場です。

現生の植物を多く植えた 散歩道でも どこでも 多くの ジモティな小鳥に出会えますし、水辺には アヒルやカルガモ(ドこにでもいるんですね)がいたりします。

そこへ行くにも さらに奥の川沿いの大きな散歩道があって そのあたりの水辺には 白鳥や黒鳥や プケコなどという 珍しい鳥も見られます。タカヘにそっくりですが

祖先が同じの違う鳥です。

とり好き動物好きの私は 毎日安いパンをもって とりよせを楽しみました。

歩いていると どこからともなく スターウォーズの 映画できくような 攻撃音がしてきます。

どこかのお家から ゲームかテレビのおとが するのかなと思ったら

これも 鳥の声。

沢山いる原生の トゥイという 黒い鳥が鳴いているのです。

どこも 樹木や花が豊富で 道路のセンターとか 歩道にも並木がありますし、

家もみんな 大きな庭をかまえて 車も数台泊まれるのが普通な感じ。

何ともゆったり感で ほんとにうらやましいですね。

外食は 高くつきますが かわいくて お洒落なレストランもあります。

こちらのエジプト風のところなど 期待して入ったら

中は 暖炉まである 居心地のいいしつらえの 普通のレストラン。

はいってみるまで分からない 面白さもありますね。お味は 結構でした。

街の中にある博物館も ちょこっと びっくりな ものが 壁にあったりして アートな感じ。

2週間滞在しましたが すっかり なじんで しまいました。

一部の街はずれ以外は 治安もよいです。

こんどは いつ来られるかとおもうと 後ろ髪ひかれてかえってきましたが 東京のように 便利でないけれど ちょうどよい大きさと 楽しさがあったと思いますね。

普通の暮らしを楽しめるところというのが一番 近い表現になりそうです。

海外専用プリペードカード








パーマストンノース―ニュージーランドの小粋な町へ―のんびり暮らす旅

羊が人より多い国ですとか、先日の大地震とかヨットレースとかで 名前を聞くことのある ニュージーランド。

ちょうど日本の南半球がわの 反対で 時差もほとんどなく 暖流のおかげで 温暖な気候で 観光に行く方もおおく いらっしゃいます。

ですが ニュージーランドの教育水準が 結構高いのは

あまり知られていません。

イギリス式の福祉政策が とられていますので 教育費や 医療費などが 無料のほか、各種手当が出て 、農産物が豊かで 物価も日本の半分以下。

消費税が15%内税でとられていてもです。

高校卒業まで 無料で 大学に進学したい子供は 国からローンを借りられて

アメリカのように ぎゅうぎゅうでなく ゆったり返せます。

隆起でできた 起伏の多い国土には 数種類の気候があり、 山や氷河や、フィヨルド、温帯のジャングル、きれいな海と 自然にもめぐまれ、現生の生物も 鳥がほとんどで 危険な生物は いませんし 人も押しつけがましくなく 親切です。

ネイティヴのマオリ族と入植してきたヨーロッパ人との軋轢が

尾をひいていることと新しい移民が増えて 都市部は すこし治安が悪いところもあるようです。

ですが、ちょっと外れた 地方の都市は こじんまりときれいで 居心地もよく

ずーといたいなーと感じてしまうようなところなのです。

うちでは ニュージーランドへ留学させて 大学をおえ、すでに社会人になっている

こどもが二人います。

そのうち、下の子が 数年前に大学に通っていた町が パーマストンノースでした。

北島の下の方にあります。

故あって 最初の大学を 一番南の ダニーデンで 終えたのですが

2個目として選んだ 大学の

科目がここにしかなくて 仕方なく移り住んで 3ねん 通ったのでした。

ダニーデンは大きな学園都市で 近くに観光地のクイーンズタウンもあり はずれにしては にぎやかな 街でした。

パーマストンノースは 何にもないよと 聞かされていましたが たずねていって

すっかり 気に入ってしまいました。

規模的には 吉祥寺くらいでしょうか。

もうちょっと、小ぶりかもしれません。

ですが、広い庭のある かわいい家が 立ち並ぶ住宅街や 歴史のある美しいヴィクトリアプロムナードという公園。

小ぶりだけれど しゃれた店が並ぶスクエアという町の中心街。

博物館やアートギャラリーもあり、横断するのに10分以上かかる広ーい芝生。

ニュージーランドで7番目の人口を持つ都市といわれていますが にほんにくらべれば 殆ど人もいない のんびりしたところです。

日本からは まず 直行のあるクライストチャーチやオークランドに飛び 国内線に乗り換えて 街はずれの空港に直接行くこともできますし 一度ウェリントンにいき そこからバスやレンタカーで  移動することもできます。

ホテルは そう多くなありませんが 街の中心部に歩いていくのに 不便のない距離に 何件かありました。

私たちは しないので よくわかりませんが 大きなゴルフ場もあります。

ガソリンは輸入品で ほかのものよりは 高価ですが 日本よりはちょっと安い。先ほど書きましたように 食品なども安く、コンドミニアムで自炊すれば 日本人なら 結構チープに 過ごせます。

外食は 高めですが 分量が多いので シエアして 食べれば いいかもしれません。

道路は 広く 日本と同じ側を車が走る 車は左側通行で 右ハンドルなので ハワイあたり等よりは 楽に運転できると思います。

日本から国際免許証を とっていけば 運転することができます。

ですが、交通法規でランアバウトなで 日本にないものもありますので 注意下調べは必要です。

ご存知の通り、日本の逆の気候なので 日本の2月が 盛夏、8月頃が 真冬くらいです。

盛夏でも乾燥しているので 夜は涼しいくらい、昼間も湿度が低くて過ごしやすい。

冬も雪が降ることもなく 7月で 9度くらい。

冬場は 雨が多くなります。

いくつか語学学校と ポリテクニックがあって、留学生もいます。

そばにニュージーランド唯一の 獣医科系大学のマッセイ大学の本校があり

山の上の方に 広いキャンパスが広がっています。

若い人にとっては なにもなくて つまらなそうですが 私たちは 子供の 借りている家にとまって、散歩したり 普通の暮らしをしてきました。

2回ほど行きましたが 居心地が良くて 2回目に行ったときは

なんだか パーマストンノースこそ故郷のような 気分でした。

町の中心地から でて 住宅街を歩くとほとんどの家が お庭のある平屋建て。

フロントヤードにバックヤードもあり 花も木もたっぷりで 野鳥の こえが 一日中 聞こえます。

夜になって 庭に出ると 住宅街でも満天の星空、こんなに星が空に詰まっているのを見るのは 初めてくらい。

週末には 近所のガソリンスタンドや 空き地などで ファーマーズマーケットが開いて、新鮮な季節の野菜や 変わった食材、などがならべられ、フリーマーケット状態のところには日用品やアンティークまで 並びます。

スーパーマーケットも幾種類かあり 食材も豊富だし、割安です。

たまごだって フリーレンジと そうでないのもあるし、日本などの調味料も売っています。

フリーレンジなるたまごは 日本では 見かけたことがなく 選択肢もいろいろあったのですが、要は 放し飼いの鶏が生んだ卵ということ。

フリーレンジで 14個くらい入って 300円くらいでしょうか。

季節でも 違うらしいですが お味もおいしいです。

グラスフェッドという肉の種類もあります。

これは放牧されて 草を食べて育ったものらしく かなり高い。

日本並みの100g単価でしょうか。

一般に 肉や乳製品は とても安いのです。

野菜や果物も 季節のものは 安く、単位も大きいです。

アメリカと一緒で 自分で はかって買うものも多くありました。

水道、電気量、インターネット配信なども 安めで 使いやすい。

ですが、工業はないので 車や 家電。携帯電話やPCなどは 高価です。

衣料品は 中国製がおおく 大柄な人が多いので 全部大きめ。

そして 店は早く しまります。

朝早くから 鳥が大騒ぎしますので 夜は早く休むかもしれません。

街のはずれに流れる川に向かって 勾配のある土地で 川沿いに素敵な散歩道があります。

ジョギングコースのようにもなっていて 走っている人もいるし 自転車も犬も入れるので あさ散歩すると 地元の方を多く見かけました。

私たちは 午前中は さんぽして そのあと 中心部までいって ランチをとり

博物館やギャラリーなどを ぶらぶらして 買い物して帰って 夕飯を家で食べるという ごくノーマルな生活をしてきました。

特別なことは ないけれど変わった鳥を見たり イベントに出会ったり 街のお洒落なおばさまたちをながめたり。

こちらでは リタイアして 大家さんになって 家を貸し、自分たちはお茶飲んでおしゃべりしたり ボランティアしたり、して過ごすのだそうです。

街のカフェでも エレガントな格好のリタイア世代が 毎日お茶していました。

福祉もよくのんびり暮らせるらしいです。

一般的な観光地も いいですが ぜひふつうのまちの 普通の暮らしをのぞいてみてください。

国の広さが日本と同じくらいで 消費税はずっと 高いのに くらしよくて 高福祉な国におどろかされ、ゆったり暮らす普通生活の 楽しさを 見つけられるとおもいますよ。

469万人しかいないらしいです。

不思議ですね。