小説クルーズパラダイスー太平洋横断二人旅エレガントシップは北上す

”ああああ 手がつめたーーーい

”だから 手袋やっぱりいるでしょ かたっぽする?

鷹也がにやにや 憐みの笑みで 片手をあげる。

”みんな、歩いているからへいきと思ったのに。でも

かして、ありがと。

那美は むっとしながら、借りた鷹也のニット手袋を がばがばとはめた。

残りの右手はポケットに押し込むしかない。

鷹也も左手をコートのポケットに押し込む。

アラスカへ向かう、太平洋横断のクルーズのウッドデッキ。

今回は elegantな

ミッドサイズシップでむかう、太平洋横断後、アラスカで 氷河をみてバンクーバーにいくもの。いわゆるリポジショニングだが 遠くに不都合はない。

日本では 大々的に売り出されていないので 鷹也が ネットで 見つけてきたのだ。

日本人は少なく、リタイアの教師などが多いという評判で 確かに 全体がおちついた 大人の多いクルーズである。

広大な図書室には ちゃんと専任の司書がいて 北欧製の人間工学ばっちりのような くつろぎ椅子がずらりと並び、

そばのcafeでは 静かに ジグソーパズルを楽しむカップルや、 トーンを落した談笑するグループが居たり、今までにない、空間がある。

混み合っていないので、 リドの食事の席も楽に選べる。船長や、ほかのオフィサーをよく見かけるのもこの船の特徴だ。

いままでの 船では 何かのイベントの時しか 会うことがあまりないキャプテンがあちこちにいて 顔が合えば ニッコリ会釈を返してくれる。

すれ違えばもちろんあいさつを交わすのだが 素敵なジェントルマンの船長を見かけることが多くて那美はなんだかうれしい。

船長が バフェで食事をしたりしているのを見かけたりすると 何だか、このバフェはちゃんとしているような気になってくる。

別にないもおかしいわけではないがキャプテンも一緒のもの食べるのかとおもうと何か平等な気がしたリもする。

キャプテンがごちそうたべてるわけないだろうと 鷹也はいうのだが、

どうも カジュアルな船では スタッフのほうがいい食事をしてそうだと思うのが 最近の那美理論だ。

鷹也は そんなことはなかろうと性善説的意見ではあるが 那美はクルーズに行くたびにその思いが強くなる。

まあ、お客は遊びに来ているわけだし、スタッフ元気で 一番いいわけですしと それなりの納得にたどり着いているが

ドレスマニアの那美としては メインレストランのディナーで 着るものを考える楽しみは ぬかせない。でも、おいしいものがあるのがバフェであるならおいしい物にも魅かれ、こころ乱れてしまう。

鷹也はしゃれ物で だいたい ディナーなら、素材感や遊び感はかわっても ジャケット着用だし、日本人のオヤジにしては まあ 着るもの全般に気を使っているので、来ておかしげなものなどは もともと もっていない。

でも やはり、デイナータイムにスマートに洒落て食事を楽しむのは 船の醍醐味だし、これって 船へのリスペクトと 那美は 思うのだ。

何にしても 今回の船は 全体にエレガントで ”船旅”という言葉が

しっくりするもので うっとりなのである。

それにしても春の終わり、かれこれ 4月になろうという季節だが やはり 北上しているから寒いのだ。

たくさん、着るものを用意してきてほんとによかった。

アラスカは きっともっと寒いと予想される。

初めて乗った船なのに、バスタブ付きの部屋で シャワーだけでないことも

寒いとこに連れて行くよといわれているようにもおもえる。

バスタブありがとうである。

 

頑張った主婦の海外旅行記―ハワイ有名どころを観光今昔

ハワイ旅行といえばオアフ島の ワイキキで 海外旅行の初級のようなところ。

わたしも新婚旅行の最初の海外旅行がハワイで それから

縁があったのかずいぶん行きました。

一番最初の時にカウアイ島に行き何年か後にマウイ島、ハワイ島をそれぞれ1回ずつ尋ねましたが、あとは 基本オアフ島のワイキキ周辺をうろうろしています。

最近は ワイキキより北のほうも結構流行っていますし、バス便などもできていきやすいですが、最初にいった40年前には オアフ島を1周する道路もありませんでした。

そのころは 主人の知人が 車で 連れて行ってくれたので、ドライブで オアフ島の道路をはじまで

まわりましたが、自分たちで 観光とかするようになって 路線バスをつかったりワイキキトロリーなどを使って 移動するとなるとなかなか遠くへは行かないので つい裏側へは行きません。

中心部にあるプーるとかのすごいパークとか 広告を見たり、はしましたが それこそいちどもいったことがありません。

子供を連れていくかどうかもハワイにきてプールはないだろうということで 行くならビーチとしてました。

有名どころは 1,2回は行くけれど あとは意外と続きません。

ダイヤモンドヘッドも 2回くらいは のぼりました。

ワイキキから見ると近そうですが、 意外と距離はあります。のぼるつもりなら行きは バスかトロリーで 行くと山の中腹くらいの感じのところで降ろされます。そこから、道案内をみながら、登りますが、結構な登山です。サンダルなどでは ゆめゆめいかないように。スニーカーならいいですが、雨の後などは 滑るので ホールドのいい靴がいいかもしれません。

上に行くにつれてすれ違うのも難しい細い山道を多くの観光客とすれ違います。

そして頂上は 岩穴の塹壕のようなところをよじのぼって 狭い頂上に出ることになります。服装もちゅういがいるかも。

景色は 見渡せるので 良いですが狭いので 長居は無用な感じ。

で、降りてくるのも結構膝に着たりしますし、帰りのバス時間も要チェック。

そんなに回数頻繁に来るところではないし、タクシーもつかまりそうになかったでした。でも 明るいうちで 歩こうと思えば ワイキキ方向に降りてくるだけで 道はわかりやすいので、 徒歩で ワイキキまで戻れます。

途中、住宅街や小さな商店街、学校などが在るところを延々、降りてくればだいたい1時間くらいで ワイキキのはじの動物園のあたりに到着します。

そのあたりはもうホテル街も近いし、もしアラモアナ方面に宿泊しているなら裏のクヒオ通りのバスを拾えば そちらへ向かえます。もちろんずっとあるいてもよし。目いっぱい地理に詳しくなります。

クヒオ通りホテルやレストランも40年前と変わらないものや いくつも変わったところもあります。

安売りのロブスターとステーキを食べさせる店は そこらじゅうで クーポンを出していますが、むっかしからありますね。

一度行ってお酒を何も頼まなかったら、ひどく冷たくされたので 2回はありません。

Ihopなどというパンケーキがおいしいという アメリカのファミレスも ホテルの1階でずっとあります。

子供を連れて何回か行きましたが、サービスが遅いしあまりおいしくはありません。最近はわかりませんが。

エッグッスンシングスというパンケーキ屋も日本でも有名ですが とにかく甘いので 1回試しただけです。

ハワイは 島なのでなんでもそとから 運んでこなくてはならないので 結構物価が高いので 食事は 大問題。

いつも混んでいるし、子連れの時も結構苦労しました。

子供連れのときは キッチンのあるメゾネットや コンドミニアムタイプが自分で調理できるので便利でした。

でもレンタカーなどはないので ファーマーズマーケットなどにいったりは出来ませんから、フーズランドや 日本食も置いているスーパーや、今ならドンキーもありますか、その辺で 材料を買って持って帰るのも 結構大変でした。

そう、この辺は もう少し後で書きましょう、余談になっています。

有名どころ観光でした、あと、ダイヤモンドヘッド方面では シーライフパークというのがあります。ここもワイキキトロリーや 市バスでも行かれますが、本数は少なく、ちゃんとバス時間のチェックは 必要です。

でも小さい子供にもとても楽しいところで、 イルカやクジラのショウもありますし、大きな水槽の水族館も面白い。

ホノルル水族館が コンパクトなので、インパクトはあります。

ここも何回か行きましたが 何しろ夢中になった子どものスイッチが切れると

帰りのバスが混んだりすると悲惨なことになるので 余り、回数は言っていません。

ついつい、歩いて行けるところが好きですね。

ホノルル水族館は小さいですが動物園はそこそこの広さはあって アフリカの動物などもいたように思います。

動物園は意外とでいるの多いところで いつもいるはずがいないとか たびごとに少し工事して変わってりしますので 飽きずに通えます。

季節によってもいろいろで、 暑いころは 動物もグダグダしてますが、ちょっと涼しいと元気だったり。

アフリカハゲコウのケージの前で 子猫の鳴きまねをしたら

”餌 えさと 探しに来ました。きっと、肉食なので アフリカでライオンの子供とかだって襲うのかもしれません。

オウムのケージの前ではあちらから

”What’s Up?”ときかれました。意味は”よう、元気?なんかいいことある?”位のものですが

先に声を掛けられるとは。

小さい、ネズミが日向で死にかけているのもみましたし、(ネズミは日向には出ないことが多いので 珍しい)

かと思えば 6月に行くと 鳥が子育ての季節で、いろんな鳥(多分、野鳥)が 巣立ちの練習中のひなに、エサを詰め込んでいたり、誘導していたりもみられます。

暑いところですから鳥は元気です。

ハワイで 昔から有名なのは ポリネシアン文化センターで これは ワイキキから、バスや専用シャトルを予約していくのですが、南太平洋に広がるポリネシアの民俗文化を見たり体験したりした上に 素晴らしいディナーショーを見ることもできます。私たちはディナーなしで ワイキキからのシャトルでいきましたが、これを運営しているのがモルモン教の団体なので その、シャトルのバスの中で、讃美歌のようなものを歌ったり、なんだか お話をきいたり、ちょっとあったので 驚きました。無理やり勧誘などは絶対ありませんがさりげないお誘いという感じでしたね。

夕方4時ころ、集合して出発でしたが結構遠いので 行ってから、普通の文化体験のところを回る時間が少なかったので こんどゆっくりといいつつそれから行ってません。

それも子供が育ってから行ったので 大人だけで行きました。

ショーは テーマがその時その時で もたせてあって規模の大きい、素晴らしい物でしたが私たちが見たものは ”ホライズン”という、ポリネシアの神話を もとにしたような壮大なもの。、それもバブルのころ、最近はどうか、余り広告も見かけなくなりました。ワイキキカラカウア通りのロイヤルショッピングセンターの1回の通路にブースがあっていつも人がいたのですが最近2年前くらいに行ったときはブースが消えていたようです。

ハワイにツアーで行き、空港から観光バスで 運ばれる時に、40年前から何十年も ジャジャファッションというムームーやアロハを売る店に必ず立ち寄りました。

その後それが ヒロハッティという お店に変わり、そのヒロハッティは無料周回バスをワイキキからだしていて、店自体がちょっとホノルルでもはずれにあり、そばにKマートという大きなアメリカのスーパーがあって そこに行くのに便利に使わせてもらいました。

着くと必ずパイナップルジュースのサービスと貝の細いレイをかけてくれました。

その店も中身がチャイニーズの資本に変わり数年したらなくなってしまいました。

いまは ツアーは直で免税店とかにつれていくようでしょうか。

昭和のころは 皆、ジャジャファッションで 行きに買って、男子アロハ女子ムームーを翌日から着込んでいたものです。

今は 現地の方でもあまり、見かけない。

みーんな、スパッツにチュニックかTシャツ。

たまに、昔ながらのフリルのついたワンピースのムームーを着ていらっしゃる、シニアのロコをみかけます。

可愛いんですけどね、世界中カジュアル化が進んで ファストファッションで ローカル感もうしなわれていくのでしょうか。

まだ、メンズのほうが アロハは開襟シャツで ジーンズの上にも会うので 生き残ているようです。

もの。

たかがハワイされどハワイ。

思い出話はなかなかつきることを知りません。





 

頑張った主婦の海外旅行記―高齢者と子供が旅しやすかったハワイ

またまたハワイです。

子供が 育ち上って10年以上になって 仕事もリタイアし実は最近は ハワイから足が遠のいているわたしたちです。

別に飽きたとかではないんですが、バブルもはじけてるみくらぶも消え去り、最近は 値段も意外とあがって 余り、行きやすいところではなくなってせいもあるかもしれませんし、海には 行かなくなったせいとも言えます。

でも 子育て中は本当によく行きました。

世界的に経済もよく、テロリストも まだ でてこず、お買い物もたくさんできるハワイは 日本人には とてもいいリゾートでした。

別にかっこつけてるわけではありませんが、うちの子供は ハワイで初めて海にはいり、学校の臨海学校やボーイスカウト以外では 日本の海の海水浴に連れて行ったことがないまま育ちました。

いまほど、アラモアナなど運んでいず、ゆっくり、きれいな白砂のビーチで 遊ばせるのが 親としては とても楽だったのです。

ふたりとも、初めて飛行機に乗せたのは、 2歳直前。

そのころだと 航空運賃が 数千円で子供は行けたのです。

最初のころ、まだヴィザが必要だった時に上の子は 取ってあったのに、下の子は まだ 2歳で パスポートも、私のと一緒で良かったので ビザをいらないと思っていて 空港で 止められたこともありました。

えええええーと なったわけですが テロのない昔はゆったりしていて、空港で」なんとか イミグレーションの手続きをしてもらえて 入国できました。

いまなら、絶対強制送還されそうですね。

あらためて ハワイは アメリカだっけと 認識しなおしましたね。

アラモアナのビーチ周辺は 売店などは少ないのですが 公園の向こうの道路を渡ればすぐアラモアナショッピングセンターで フードコートもマクドナルドも あって 食べ物の調達も簡単でしたし、アラモアナホテルに宿をとれば 帰りに遊び疲れた子どもでも 叱咤激励してたどり着きます。

ワイキキは置き引きなどもいって あまり安全ではないですが アラモアナは 人もすくなく、いたって安全でした。

クリスマスシーズンには ロコの家族がバーベキューや 海水浴に繰り出して 人が増えますが サンドバギーに乗った警官が パトロールしていて、寄ってきたので 何か注意されるのかと、ドキドキしましたら、クリスマスの紅白の縞々キャンディを 子供に渡しに来たのでした。

レイバンのサングラスの日焼けのきれいな警官が 真白な歯をニットみせて だまってキャンディを差し出したときには

OH!ハワイ!と おもいました。

ハワイは常夏ですからクリスマスでも 夏ですが街はすっかりクリスマスの装飾に包まれ、寄付を募て街角に立つサンタの扮装の人も 水着姿で帽子とひげで鐘を鳴らして声をかけています。

アメリカの サンクスギビングの後からバーゲンが始まるので お買い物も そのころは バーゲンで どこでもお得でした。

個人で作った リースの展覧会があったりもします。

いつもどこかで クリスマスソングが流れて 楽しいときでした。

一応冬は 雨季なのですが、12月頃は あまり雨も多くなく、一日中ビーチで遊んだ子供のヒップに海水パンツの恐竜柄が 日焼けの後でついたこともありました。

水着やおもちゃも 男女問わず、子供のものは 可愛いものがたくさんあって、

お買い物はたのしかったですね。

アメリカの製品は 日本で買うよりは 安く買えますし、サイズが合えば いくらでもほしくなります。

女の子は小さくてもスプラッシュのお洒落な水着が 手に入ります。

子供向けのかわいいおもちゃ屋さんや 子供用品を扱うでJCペニーとかシアーズなどのデパートもありました。

今ではスプラッシュはありますが、デパートは 高級なブランド物が並び、ほかの子供服なども様変わりしてしまいました。

ワイキキで泳ぐことはありませんでしたが、 ホノルル動物園や 水族館には通いました。

いまは だいぶ、改善されてますが 昔はひなびた動物園と こじんまりした水族館で、それでも 子供たちは大好きで一番の人気スポット。

アラモアナやワイキキのビーチの足の着くようなところでは サンゴなどはないので 魚などは見られません。

熱帯魚をみるなら、ヒルトンホテルの中のラグーンプールか ハナウマベイまで行く必要があります。ヒルトンはもちろん泊まらなければ、はいれませんし、ハナウマベイは 距離もあり、 入り江の底にあるので、 荷物と子供をかかえて 行くのは大変ですし、逆方向の運転は 避けているので レンタカーなどで 移動しない主義なので 一回だけ 知人に連れていてもらっただけでした。

確かにおさかなとサンゴ礁が見られます。

子供とのハワイ旅行の時代の後半には 夫婦それぞれの 実家の両親と一緒のことも増えました。

上のこが2年生くらいの時に私の実家といって ついた翌日にその子がおたふくかぜになって おじいちゃんと一緒に ビデオやおもちゃ、おじいちゃんにはビールをわたして 二人でホテルにこもてもらったこともありました。

何処でもらったのかもわかりませんが、 他に、体調を崩して病院に行ったことがないので 学校で もらってきていたのでしょう、おじいちゃんがいてラッキイでした。

パートナーの側のおばあちゃんといったときは 大風が吹いて ついた日の翌朝、

アラモアアホテル前のホテルの屋根より高く伸びたヤシの木3本がたおれていて びっくりしたこともありました。

ともに祖父母チームは シニアな年齢でしたが どこに行っても親切にしてもらえました。レデイースファーストはもちろんですが 80年代でも ハワイの街は 高齢者に親切でした。

子供にも親切で レストランなどでも 声をかけてくれたり席も用意してくれました。子供連れが入りやすい食べ放題レストランなどもあり、かよいましたが

いつのまにかなくなりましたね。

もちろん、子供用品の店もたくさんありましたから便利なグッズも手に入りました。

今のようにレンタルバギーなどなかったので 自分で 買っても飛行機に持ち込みました。子連れは やはりこれがないと、突然 、電池の切れたエネルギー切れの子どもを運ぶのは大変です。

いまでこそ、 レンタル用品などもあって 便利な子連れ旅行先になっていますがそれよりはちょっと不便でも 、便利なこともいっぱいな子連れハワイでした。

親は最近行かなくなったハワイですが、ハワイの海を刷り込まれた子供は 相変わらずハワイが好きで オーストラリアの海まで すぐいけるところに住んでいる下の子供は

年に1回ハワイに休みの時にかよっています。







 

頑張った主婦の海外旅行記―ハワイ40年の思い出

ハワイ話の続きです。

ハワイは 車で 半日もあれば くるっと回れる島がほとんどです。

まあ、一般にハワイハワイといえばオアフ島のことですが、ほかのマウイ島やハワイ島なども似たり寄ったりの大きさで 大昔、大航海でたどり着いたハワイ人たちが 王国を作ってすんでいました。

のちにアメリカになったのが明治のころでしょうか、ハワイ王朝から 皇室に花嫁を迎えるなどという話もあったようです。

こういう、歴史話は ハワイの ビショップ博物館で 学ぶことができます。

わたしたちがハワイに行きはじめた 昭和の50年代、オアフ島もとっても雰囲気のある島でした。

先にも書いたビーチなども ワイキキは人が多いですが、アラモアナはさみしいくらいの人の少ないのんびりできるところ。

毎回、人種不明なほど焼き上げました。

ワイキキは 人工ビーチすが、アラモアナは もとからあったらしく、でも 南の海の白砂と青い遠浅の海でよく泳ぎました。

遠浅といっても少し行くと まあ足はつかないくらい、潮がとても速く のんびり横に泳いでいても きがつくと 岸から離れて怖い思いをしたこともあります。

アラモアナは 昔からショッピングモールがあって 道路を渡れば ビーチに行けるし、便利で 子連れ時代は もう、アラモアナばかりでした。

最初の新婚旅行の時に ワイキキで 一緒のツアーの若者が 置き引きにあって 荷物紛失。その印象で 何だか、ワイキキをさけていまして、ほとんどそちらでは泳いでいません。

オアフ島は ノースショアといわれる北側にもきれいな海岸があり、波が高いので サーファーの 集まるところのようです。

最近はシャークウォッチングとかもできるようです。

わたしたちが泳いでいた時代は 観光トロリーで 北になど行けなかったので

いく習慣ができませんでした。

ホノルルのメインストリート、カラカウア通りはいつも メインストリート。

いまのように 観光トロリーが日本の旅行社や航空会社によって回されていないころは 市バスのザ・バスか ワイキキトロリーを使うか、タクシーか徒歩が移動手段。

わたしたちはバスか徒歩派ですので 大体歩き回りますが、そのころは バスを使う自信もなかったことも歩きまわりの原因ではあります。

今ではバスも電光掲示板がついて 次の停留所が どこかわかるものもあったりしますが昔は なにも放送はなく 窓の近くに渡されたひもを自分で この辺だと思うあたりで 引っ張ると 日本のバスで ブザーを押したのとおなじことになって

とまります。

その場所が自分の思ったところかどうかは きになるところ。

あたれば よし、外れれば 勿論携帯ナビなどないですから地図に頼ります。

市バス用のブックレット等もABCストアで売っていました。

このABCストアだけは ほとんど変わらず頑張っていますね。

コンビニ状態ですが チープなお土産屋 食品もあるので 便利なところです。

今でも40年前と同じ、お土産があったりして驚くことも。

ワイキキの街の中もアラモアナも ローカルのお店が たくさんありました。

今のようにブランドショップが 軒を並べることなどなかったのです。

ワイキキのダイヤモンドヘッド側のはじには 映画館がありました。

はじめての時にみつけて その時していた映画は プライベートベンジャミン。

ゴールディーホーンのコメディですが、そのころは 洋画などもあまり詳しくなく、よく知らないので どんな映画かもわからなくて看板を見ていましたが 今思えばコメディでしたね。

でも勿論、そのころ、映画が英語で 理解できませんでしたから みなくてよかったです。その映画館のまえあたりをあるいていたときに突然アメリカ人の観光客とおもわれる 白人のシニアの男性が何かの発作かを起こしたのか、ばったりたおれて 驚きました。

周りに人がいたので 直ぐみんなが助けによっていきましたが、大丈夫かなーと思ってあげることしかできない英語のわからん日本人カップル。

おもえば そのころは ハワイは アメリカの人が バケーションに多く来ていましたね。

今では世界中から人が来ていますが、アメリカ人の国内旅行先という感じがより強い時代だったようにおもいます。

そのころからある ハレコアというホテルは アメリカの軍関係者や退役軍人の方などが多く利用するところで ふつうの人は入れませんが 素晴らしいところのようです。今でも変わらずありますね。

ワイキキのはずれヒルトンホテル群のある傍らのうみがわにあります。

ハワイで有名でずっと変わらないところ、いくつも他にもあります。

微妙にマイナーチェンジはありますが、日本の目まぐるしい推移から考えると寿命は長そうです。

ドールのパイナップル工場見学コースも昔からあります。

最初に行ったとき、取れたてのおいしいものが たべられるだろうと楽しみに行きましたが まだ酸っぱい若いものが 出てきて 塩が添えられていたのを覚えています。

いまでも 観光的には大きくしていますが 一度で懲りてしまったので いまは 甘いかどうかもわかりません。

シーライフパークや パールハーバーの記念館、ポリネシアン文化センターなども古くからあるものですね。

ビショップ博物館なども古いです。アクアリウムや動物園も古いですが 中身は結構変わっています。でも ところ。小規模でも相変わらずにぎわう楽しいところ。動物園などが在る側のクイーンカピオラニ公園のあたりでは コダックショーというフィルムのコダックが スポンサーになる無料のフラショーが あったのですがこれも最近は みかけない。

日本がバブルで わいたころは世界もわいていたのか、いろんな無料催しがあったような気もします。

ハワイに行くのにも安くて 5泊7日なら49800くらいで いけたり。

いまは かのてるみくらぶもつぶれ ハワイは結構価格のはる旅先になっていると思います。

結婚して10年くらいの頃が丁度バブルになりつつあり、そのころこどもが 二人いたので子供たちは しょっちゅう ハワイに行く恩恵にあずかりました。

もう少し、ハワイを思い出しましょう。

値段勝負ではなく、こだわりの内容のツアーを追求している旅のエキスパート






 

 

小説クルーズパラダイスーカリブの風は何色?

”はああ~やっとついたわね~

”ああ とおかったね~ おお、フロリダの陽ざしがきつい・・・

生成りの 麻のジャケットの腕を顔のまえにかかげて 鷹也が 日差しをよける

今回、二人がやってきたのは アメリカのフロリダ、フォートローダデール。

1週間のカリブ海クルーズの 出発地である。

日本からは 太平洋を越えて アメリカの東海岸にわたり、トランジットを2回、やっとの思いで 到着した。

最後のトランジットのアトランタでは 街のホテルに出ようかと思っていたが

空港近くは 何かのイベントがあったらしく 値段が 高騰した上に 部屋がなく

仕方なく 空港夜明かし体験をした二人である。

春も深まった3月末の 日本を出発なので まだ雪があったりするボストンや そこそこ涼しい アトランタ空港をへて たどり着いた フロリダは常夏の陽ざしさんさんで 空港まえに並んだタクシーは スモークの窓を光らせている。

フォートローダデールは クルーズ船の発着場所として有名なところ。

カリブ海へのクルーズ船の多くがここを起点に出発するらしく、思ったよりこじんまりした、空港の出口周辺に 船会社のブースがみえる。

係員もあちらこちらで 旗をもって誘導してお客が 並んでついて回っている。

ふたりも今回は 船のトランスファーを頼んだので 係に拾われて 時間待ちをさせられている。アライバルゲイトの外は もう すっかり、フロリダらしくエアコンが効いていないところは 懐かしいくらいの 真夏の雰囲気である。

いくつかの飛行機のお客を 集めてから 荷物をもってバスへと 移動。

大型観光バスでの移動、ハワイを思い出すような フロリダのハイウェイから

殺風景とも思える、クルーズのターミナル方面へ。

コンテナが積んであったり、燃料のもののようなコンビナートなどが並ぶ

道へおりて埃っぽい中を走っていくと 遠くに確かに クルーズ船がずらりと並んでいる。

アトランタで しっかり寝られなかった二人は うとうとしていたが その居並ぶ船に那美がきづいて歓声を上げる。

”ほらほら、 あそこ、あそこ、 あれはノーウェジアンね、ホーランドもいるし、

あのマークはプリンセス!

確かに広い岸壁だが、巨大なクルーズ船が ちまちまと縦横に詰まっている景色は

何だかかわいらしい。

”すごいね~さすがなフォートローダデールかな、鷹也もサングラスの奥から

へええと みなおしている。向こうに見えるのは めざすセレブリティ。

今までのアジアや日本とは違うクルーズといえばカリブ海というくらい メジャーなクルーズのメッカともいえる場所にとうとう やってきたと 子供みたいにワクワクの那美なのだ。

アンのおしえてもらったアメリカのサイトで いたくリーズナブルだったうえに カリフォルニアにいるおばの住所も借りられたので スムーズに 予約もうまくいった。

何でもジャパンプレミアムなので 海外で買えるのは インターネット時代のお得でもある。

クルーズにはまった那美としては あこがれの聖地でもあるカリブ。

何度もいったことのあるハワイでも いつも 飛行機から降りると独特の香りがあって

”ハワイに来たー と感じるけれど、ここでは また違う南の香りがするような気がする。

ターミナルをぬけながら 飛行機疲れが 暖かい風に吹き飛ばされていくような

かんじがして 足もかるく 船を みあげて 胸が高鳴る那美だった。

 

 

 

小説クルーズパラダイス―クルーズの魔力にとらわれて

船はよるをすべり 港へ向かう頃~

”どう?なにかきずついちゃったのかなあ?

まったくひとが センチメンタルにはまっていい気分なのに ちゃかすんだからと

那美はむっとしてみせる。

”いや、なかなかよかったねー 偶然会えたりもしたし、これって縁がふかいってやつだろ、やっぱり ぼくのおすすめは あたってるんだよ

寄港地を後ろに もうすぐ横浜へ向かう最後の夜。

明日目が覚めたら 魔法の国から帰ったアリスのように 現実に到着する。

那美の場合は魔法の国ならぬ 波の王国だけど。

”わたしね~ もう一生船を追い求めてしまいそう。

しっかり、錨おろされちゃった感がある。今まで どこにもこんなこと感じたことないのに。また行くでしょう?

鷹也がいかないなら私一人でも行っちゃいそう。

”おいおい、誰が 行かないって言ったんだい。時間が許す限りお供させていただきますよお。

鷹也はにやにや あくまで からかいモードである。

ふたりで 海外もあちこちツアーとかでいったけれど クルーズは 何か違うものを 彼らの中に植え付けてしまった。

那美は この 先行きどこにどの船でいこうか おりるまえから 考え始めている自分に驚きながらもだから フューチャークルーズデスクがあるわけだと納得したりもする。

クルーズは旅だけど いそがしく移動するというより 毎日自分が ドラマの中のヒロインになったような 気分で過ごせるものだった。

クルーズ自体が 非日常である。またそれが望めば ずっと つづけられる。

でもたとえ、一年乗り続けてもそれが 日常となることは なくて ずっと 魔法の世界にいられるのだ。

この 世界で 一番長くつづく ワンダーランドねと

デッキからみおろすと くれ行く海は 小さい声で くすくす笑いながら 今度いつ会えるのといっているように思える。

”さあ こんどは いつどこへ行こうか?

どの船にする?

”はいはい、では わたくし目にお任せを。いいの お探ししちゃいますよ。

PCなくて 残念しばしお待ちをだ。

さて そろそろ、ラストディナーかな。今夜は着替えないの?

”私は 着替えようかなあ 船にしばしのおわかれだから ご挨拶かなー

デッキのステージで バンドが 演奏を始めた。

潮風は寒そうだが ラストナイトパーティで パッキングが終わったらしい人が

集まってくる。

それぞれが きっと 魔法につかまって 踊らされてるのねーと 思いながら

階段を 降りる二人の 後ろに夜空が 広がり始めていく。

緊急報告コモド島閉鎖へ―コモドドラゴンを守ろう

コモドドラゴンは貴重な 大型爬虫類です。

インドネシアのコモド島とリンチャー島に生息し、大事に保護されていますが、

個体数減ってきていて、インドネシアが憂慮して 、2020年からの 観光客のコモド島への入島を禁止すると決められました。

リンチャー島へは 禁止にはならないようです。

実際にいった方によると、 コモド島は かなり管理されていて リンチャー島のほうが 野生感が強いとか 言うことのようです。

ですが、こちら巨大なうえに、 いたって、危険な 生物。

人間は 勿論食事としてみなすであろう、猛獣です。

それこそ、ティラノザウルスなどの 古代の恐竜を思いおこすような 生き物で、

みたいとあこがれる方も結構、いらっしゃるのではとおもいます。

嫌いな方は 絶対嫌いですけれどね。

わたしは見たい派。

この閉鎖の記事を見たときは 大ショックでした。

最近は クルーズで 旅行に行くのにはまってまして、旅行は 船ばかりで

そういえば コモド島を通る船あったなとしらべて みたのですが、

ええええええー 年内には ほとんどない。

帆船のウィンドスターでバリから行くのがありましたが、訪ねるのは 1日だけ。

ほかには バリ島から オプショナルツアーで行くことが多いようですが、

けっこう、値段は弾みますし、バリは今あまり 興味がないところで、

でもな何とかと捜してみましたら、 ありました。

クラブツーリズムで コモドドラゴンに会いに行くことを重視した、添乗員さん付きのツアーです。

ほかに、ピンクビーチや、蝙蝠の群れもみられるらしいし、コモド島とリンチャー島両方まわりますし、ばっちりです。

これは もう 行くしかないと 問い合わせました。

年内何回かあるようです。

そして 、知りませんでした、大事なことを知らされました。

ななんと、74歳になると コモド島には 入島できないらしいのです。

その微妙な 74歳という年齢の意味はよくわかりませんが、インドネシア政府が決めていることらしといのです。

あの、コモドドラゴンのスピードから逃げられないからか?!

とも、おもえます。そして、なおかつ、このツアーは 暑い中トレッキングになるので 大丈夫でしょうか?とも言われました。

その辺は 結構大丈夫そうです。

インドネシアは 熱帯なので雨季は 雨が多くて暑い、夏場が乾季で暑いが、日陰なら爽やからしい。

そして 虫はたっぷりいますので、虫よけも必須です。

このように いろいろのことがありますが、やはり、あのドラゴンに会いに行きたいですね。

地球の気候はきびしくなるらしいし、絶滅してしまう生物も増えるらしい。

できることなら 今行くのが いいかもしれません。

閉鎖も1年といわれていますが、確かではありません。

貴重な生物を保護するためには 大事なことですが、見せてもらえるうちに

いける方は トライしたらいいかもしれません。

 







頑張った主婦の海外旅行記―ネット無しデジカメ無し英語下手でも世界へ出かけました

本が大好きな子供でしたので 世界には ずっとあこがれは持っていました。

亡くなった祖父に 英語ができたらアスワンハイダムのアブシンベル神殿に連れて行ってやるとによく言われていましたっけ。

じっさい、英語ろくにできなくても、実はアブシンベルには 行けたのですが。

今は クルーズにはまっていますが、 縁で 学校卒業後すぐにお嫁に行ったわたしは初めての海外旅行は 新婚旅行のハワイした。

短大出て直ぐ、2か月後。

結婚式よりは一週間ほどあとでした。

嫁いだ相手が 結構な海外志向の人で ラッキーなことにそれから子供なしでも子供連れでも 子供いなくなった後もいろいろ、旅することができました。

バブルのころも結構、行きましたし、もちろん昭和の終わりごろもいきました。

そのころは インターネットがないので 電話や雑誌やパンフレットを駆使して 安いツアーを見つけたりしましたし、 デジカメも携帯ももちろんないので、最初は8㎜フィルムというものをつかって ふつうのフィルムカメラです。

ですので 記録はアルバムかフィルムなので 写真を載せることが できません。

でもいつも面白いこと驚くことも ツアーでもそうでなくても満載でわたしはいつも 旅の虜でした。

たいへんなこともトラブルも多少はありましたが

飛行機事故にもバス事故にもテロにも巻き込まれずに今まで やってこれました。

この運命に感謝して また あの面白い思い出を 思い出してみたいとおもっています。

2014年からは はまった クルーズで 陸系の旅行はめっきり減りましたが

その中でも 特殊な場所などやシチュエーションは やはりツアーを使うこともありわずかに写真をお見せできるかもしれませんが、

基本ほら吹き男爵波に、面白い楽しいとおもえるお話で 楽しんでいただきたい。

さあいままで 自分では数えて居ませんがいくつの国に行けたことでしょう。

まだまだ、残ってるところも多いかもしれません。

昔のその場所が今と全然違うこともあります。

けっこうかわった場所は いくつもありますが 何度も言って、その変化を目の当たりにしてきた場所とおもえるひとつがハワイです。

そうそう、私のハネムーンの場所。昭和のころはハワイのハネムーンっていいところになっていたようです。

私の両親の時代、昭和の中頃は まだ 熱海とか箱根や伊豆大島などでしたが

もう私のころは やはり、海外。で、やはり南国の海で、ハワイでしょう。

夫の学生時代の友人が住んでいたこともあって ハワイへ、これも親戚のコネで

キャンセル待ちのツアーをゲット。

ハネムーンキャンセル待ちって・・・とその時、新婦のわたしは思いましたが、

どちらにしてもハワイは魅力でした。

近畿日本ツーリストのツアーで 宿泊はアラモアナホテル、これもえーワイキキじゃないんだと若いころ故、思いましたね。

言ったらとても良かったのですが。

まず、このツアー、添乗員さんが」ついていらっしゃいましたが、どうもハワイというのは まるで添乗さんの研修ツアーのようなものだったらしく

サラリーマン風のスーツに大きな通勤バッグを斜めがけ(このころは客のパスポートを預かったりしてましたねそれ用でしたかも。)

飛行機から、降り立った時もだいぶ、よれられて、大丈夫かという感じでした。

わたしは初めてだし、英語もわからないので 添乗及び、夫にしっかりくっつき、夫は スーツケースにたっぷりの8㎜フィルムと片手に8㎜カメラを持ての道中でした。

ごく一般的に タンタラスの丘やパンチボウルなどを回り、カメハメハ王の像にも拝謁。

ホテルは 昔から3時過ぎにチェックインです。

そしてついたアラモアナホテル。

いまは高級ホテルでクラスも上ですが そのころ、昭和のころは

何っと ロビーに屋台がいたんですよ。

あのインスタントラーメンのチャルメラの袋に書かれているような あの屋台が

ロビーにです。

色んなものを売っていましたが、印象として覚えているのは おにぎり。

のちに息子を連れていき始めたときしばらくお世話になった屋台でしたが、数年後には無くなりました。

お部屋は アラモアナビーチが見渡せるし、隣は アラモアナショッピングセンターで 実はとても便利でした。

でも最初は わからなくて 夕食をどこかで食べようと裏のほうへ探しに行って

シェイキーズがあって はいって 注文したら 直径40cmはあるピザが2枚きて おおびっくり。

アメリカはなんでもデカイときいていましたが、🍕で実感。

ツアーは ホノルルとオプションで カウアイ島にゆきシダの洞窟を訪ねるオプションをさらに入れてありましたので、ホノルルにいるうちに 夫の友人に会うことに。

車でホテルに迎えに来てくれて、裏のほうの 西海岸とか そのころ、車で行ける限りのところを回ってくれました。ドールのパイナップル工場見学は今でもありますね。レインボーシェイブアイスなどもそのころからありました。

そして こんどは ダイヤモンドヘッド側に行ったときに 新興の住宅街に案内され、一つ買わないかこれからいいと思うよと勧められたことがありました。

そのころの日本円で 800万とか一千万円くらいといわれたところ。

途中立ち寄ったモールは さびれてなにもなかった記憶があります。

友人はこれからいいに違いないので 自分も資金があったら、買いたいんだがと

熱心に言ってました。

そこがいまやあの有名なセレブの別荘の立ち並ぶカハラモールでした。

本当、買っておけば 今頃こちらもセレブになれたかもしれないですね。

そういう意味でもハワイはどんどん、変わってきています。

インターナショナルマーケットプレースの屋台が立ち並ぶお土産屋の固まったワイキキの名所も数年前になくなって おしゃれな ビルのモールになってしまいました。あの屋台の人たちはどこへ行ってしまったのでしょう。

ハワイは 新婚旅行依頼、家業の関係でも用事があったので 定番の旅行先となりずいぶんと通いました。

アラモアナショッピングセンターもその間にとても変わったんですよ。

昔は地域のショッピングセンターでロコが通ってきていました。

いまは 高級品などが たち並び、店もくるくる入れ替わっています。

昔は 白木屋という 日本の三越デパートの 前身の白木屋ので店が 大きくあって日本風のものや食品がおおくうられ、にぎわっていました。

デパートもリバティハウスというアメリカのデパートと シアーズ、jcペニーというストアだったのが ニーマンマーカスなどの高級デパートに変わりそれも 結構出たり入ったり。

ローラアシュレイも28年前くらいはまだ、アラモアナショッピングセンターに出店もしていました。

でも 街は変わってもあのアラモアナ公園からビーチに行く道とか橋とかは結構変わっていなくて懐かしいです。

あのビーチは それこそ新婚のころは 人が少なくてまだ禁止されていなかったので,早朝にビーチで鳥のパンくずやポテトチップをまいて呼ぶとたくさんのとりがあつまってきました。

ふつうのハトや白いはと、発情が「ぽぽぽぉーとかわいいウスユキバト、スズメ―ハワイのスズメは 大きいのと小さいのがいます。

そのほかに九官鳥ぽいウィキウィキも。

そのほかに有名なカーディナルもきて 感動でした。

あのビーチでは しばらく 鳥寄せができましたが、いつか禁止になりました。

今は出来ませんが ピクニックなどをするとやはり飛んできます。鳥といえば

文鳥は ハワイでは 野鳥でした。

ワイキキと アラモアナとの間くらいの軍の博物館のあたりに大きな芝生があって

文鳥が 幾羽も飛んでいました。

何処かから逃げ出したのかとおもいましたが、どうも野鳥の様でした。

そんな文鳥たちも今はあまり見かけません。

ダイヤモンドヘッドがわの カピオラニ公園のあたりには まだ飛んでいるかもしれません。

ハワイは子供と年寄りにしんせつですし、気候もよいし、日本からも程よい距離で

本当に行きやすい観光地。

そして 意外と蚊も少ないのです。

そして 、野生では へびが居ないんですよ。

これは ハワイはサンゴ礁や火山の隆起でできたかららしいんですが、

後から、書きますがオーストラリアなどは 怖いものが いっぱいいるようです。

ニュージーランドとハワイはへびがいないんです。しつこいんですが、そのせいで多くの鳥がいたんですね。

古代のハワイ人の素晴らしい鳥の羽根を使った装飾品が博物館でもみられます。

家じゅうでハワイに行きまくりましたので 東京に50年以上住んでいる私が

銀座にいった回数より、ワイキキにいた数のほうが 多いくらいです。

もう少し続くハワイ話です。

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小説クルーズパラダイス―船旅で 人生模様は波柄に

“基隆も なかなかいいところでしたわね”と

テーブルメイトのマダムは すこぶるごきげんである。

“台北にはきたことがありましたけれど、こんな港町でも 結構、楽しいのですのね。お土産もかえましたし、 市場も面白かったし、船ならではですね”と

自分から、今日の寄港地の話がでてくる。

那美たちは 昼間は 船の中であちこちいっているし、その行先がちがうのか、

毎日のディナーのテーブルメイトの日本人とはめったにであわないのだ。

不思議と、仲良くなった外国人とはしょっちゅう会うのだが。

それで 顔を合わせるのは ディナータイムなのだが、 一人で来ていた男性は いつの間にか、姿を現さなくなったので バフェや有料レストランへ行っているのかもしれない。

一人旅の女性は カップルの中で、ひとりになってしまったせいか、 余り話し好きではないようだし、 日本酒好きのご主人の奥様と那美たち二人が 話をするくらいになっている。

その奥様も さすがに ご主人が ぐいぐい行くので ちょっとけん制気分で 時には 余りご機嫌のよくないこともあるようになっていた。

クルーズも後半になり、あと少しのシーデイで 横浜へ向かっている。

でもその中で 最後の台湾の寄港地の基隆が 奥様の気分を変えてくれたので 那美はほっとした気分になった。

鷹也は明るくてお喋り上手だが さすがに一人漫才となるようなことは避けるので

あまり盛り上がらないテーブルだった。

ウェイターもいい人だがおふざけをするようなこともなく 上品に淡々とサービスをしてくれていた。

夜は催しが忙しくて 那美もショーなどに急ぎたいので 余り話しが盛り上がってもそれはそれで 忙しいし、まあ程よくてよかったのだ。

でも 今晩は ちょっと寄港地の話で、にぎわった。

この船では テーブルも時間も決まっているので 同じ顔ぶれで クルーズ中デイナーを食べることになっているがどうも あちこちで 聞いた話では 船によっては 時間が決まっていなかったり、 レストランもあちこちいけたり、二人席で ずっとということもあるし、千差万別になっているらしい。

二人席ならともかく、 人数のある席では 一応礼儀として 食事と会話も楽しまなくてはならないのだ。

カっプルで座ったからといって、二人だけで話のは失礼なので、周りとも、話題を共有しなくてはならない。

政治と宗教の話はひかえたほうがいいなどと書かれたものを呼んだこともあったし

休暇を楽しんでいることになるわけだから、あまり仕事の話も 避けたいところである。でも、なぜか、やはり、仕事をきいたり、 家族事情などに話が向いてしまうこともあって、うまく話を変えたいと那美はいつも苦労する。

鷹也は 仕事の話はリゾートですることを嫌うのだ。

別に隠れているわけでもないけれど、自分の気持ちがくつろげないからということらしい。それでも、 このテーブルでは 結構聞き出されていた。

本人たちも自分の事情を話したくて しかたがないらしく、そういうことは 結構きかされた。

みんな、それぞれ それなりに問題があったりするらしく、ついペシミスティックな 話になっていきがちで ”あ また”と 思うと 那美は ”すみません 00が始まるので ~”と席を外させてもらうほうに持っていく。

鷹也は自分は聞かれたくないが結構よその人の話は  うンうん聞いてしまうほうなので、あっそうだねとか慌てて、ナプキンをテーブルにおくようだ。

命の洗濯といえそうな クルーズなのに、家のことを引きずってみんな大変だわと 那美は思うが 鷹也に言わせるとみんな、こぼすのを楽しみにしているんだよとのこと。

旅の恥はかき捨てというけれど 皆、自分の中のもやもやもこの広ーい海の上の船から捨ててしまいたいのかもしれないなーと那美はおもう。

那美自体は それはいろんなことはあっても ここに来るともういいやとおもえているし、この先も次のクルーズのことばかり考えそうだと クルーズ中毒の兆候は あらたかである。

クルーズライフ自体がドラマの中の様なのに さらに 色んな人のドラマが 聞こえてくる 不思議な空間である。

海風にふきよせられて 人間模様まで集まってくるのかもしれない。

那美の模様は 波の形に 書き換えられはじめている。

クルーズに のると人生に

海が組み込まれてしまうのだ。

小説クルーズパラダイスートリビアで燃えろ、グローバルな戦い?

“Noo,Nami これはね パリノアメリカ人よ

生粋のニューヨークっ子の ケイトが自信ありげに 答えを書き込む。

那美も パリのアメリカ人なのは 承知の上だが、 問題は 曲名でかかっていたのは ラプソディインブルーで 那美も好きな曲だから 自信はあったが 、アメリカ女性の自信の前には それを説明する時間もなく 次の問題へと進む。

結局、那美があっていて、 オージーのジェフが 那美がなんだか、言ってたよねこれ、自信もってよ~という羽目になった。

面白いことにアメリカのレディは ほとんどが 間違えても”アラ おかしいわね”と

自信は ゆるがないのだ。

日本人は つい、外人に ”本当に? Are you sure?”といわれると よく知っていることでも ”えーとぉ

となってしまうのだ。

那美は日本人的でないと自負していた 自分が 日本人だったことに 改めて驚いてしまう。鷹也はまた 留学が 長かったので ちょっとかわっているし、 トリビアには ほとんど顔を出さないので どうなのかさだかではない。

でも 参加して、いろんな国の人と 一緒にするたびにお国柄を 見て取れるのが 結構面白くて 那美の隠れた楽しみなのである。

もちろん一概に言えることではないが おおむねの雰囲気というものがある。

日本人の中でも関東と関西、こまかくいえば 県違いでも結構違いがあるから

それの世界バージョンになるのだ。

スコットランドの 若い新婚さんは まだ20代後半だというのに 本当に物知りで

那美と3人だけのチームだったのにほとんど正解で、驚いた。

那美などは 問題を 理解することから始め、答えを日本語で 引っ張り出して それを翻訳しなければならないので もう大変。

後は スペルがわからないので ローマ字風にかいたり、 果ては 絵をかいて

”この象の絵 うまいねーと妙なお褒めをいただいたり。

英語の訓練とトリビアのゲームと 脳トレには最高、日本でもやってほしいと おもったりしている。

船の中では以外とトリビアファンが多く、

マニアに至っては強いチームで 結託して勝ち続けたり、アマチュアは引っ込んでろなどとの 発言をされて憤慨するカナダのレディもいたし、なかなか、静かだけど燃える催しになっているのだ。

一般のものと 音楽系があるが、 一般の出題は スタッフに任されていて それは多岐なところから出されてくる。

何で、そんなこと知っているのと思うほど なんでもしっていそうだが、 ネットのトリビアゲームでもかぶっている問題があったり、知る人ぞ知るものがあったり、那美は そのジャンルの広さも楽しい。

0000年のツールドフランスの優勝者はだれ?とか、 スポーツ系でもマニアックだったり、 このセリフで始まるシェイクスピアの作品を選べだの、動物系は 強いと思っている那美でも 心配になるような問題も出るとおもえば、ごく 簡単なものもあったり、簡単でも世界はメジャーでないものを那美がしっていて ”おおお Namiがいてよかった!!となったり、まあ悲喜こもごもではある。

でもお互いに頭を寄せ合って 解いていくとなんだか 親しくなるのがかんたんなのだ。

那美の最初のトリビアのときに、さそってくれた フィリピンのオフェリアのファミリーは 本当に賢くて親切、問題も悩んでいるとさっと 簡単に言い換えてくれ、そして 強く、何回も景品をもらえて大喜びしていた。

景品といってもちょっとした、船のブランドのロゴなどがついた小物だが 何となく、みんな、かちたいようではある。

那美などは 勝ちたいけど所詮ゲームだし、英語力もいまいちだしと思っているが

まにあなチームは 出題のスタッフにクレームを入れたりもする、しつこいやりとりをしていると そんなことに、うるさいぞと 正義感のおじさんなどが 大きな声で 横やりを入れ、その奥様にそんなことにくちをはさむなんてと たしなめられて、”でも だってあれだろう・・・とか 大きなオージーのオジサマが 小さくなってかわいらしいことになる。

都会風の年配カップルとしたときは 答えがあっているたびに 答えを考えたご主人に奥様が “ぐーっどぼおいぃ”と 微笑みかけるのが 何ともステキだったと

その日のディナーの話題になった。

それでも参加する、日本人が本当に少ないのが さみしいといつも思う。

日本人と組みたいわけではない、実際多国籍で組んだ方が

やはり正解率が高い、ジャンル別にいろいろ、知っているわけになるからだろう。でも、日本人だっていろいろ知っているのに、英語力がなくて 参加してこないのだろうか。

日本人だけのトリビアを催すときもあるが、それもまた 外国人は参加できないし、せっかく 世界中の人が乗っているのに、もったいないとおもえるのだ。

実際、イスラエルの人と一緒になって 後におしゃべりして お国の話を聞けた。

日本にいたらできないことである。アイスランドとドイツ人のカップルにあったり、アメリカ人だって 住んでいる場所で感じが みんな違うし、オーストラリアやヨーロッパでも そうである。

世界中がいろいろな多様性を感じられるのが クルーズとわかってきた那美だが、

トリビアではさらにその多様性のもっとおくが みえてくると おもっている。

人生の勉強の場になる クルーズねと 鷹也にいった。