頑張った主婦の海外旅行記―ハワイ40年の思い出

ハワイ話の続きです。

ハワイは 車で 半日もあれば くるっと回れる島がほとんどです。

まあ、一般にハワイハワイといえばオアフ島のことですが、ほかのマウイ島やハワイ島なども似たり寄ったりの大きさで 大昔、大航海でたどり着いたハワイ人たちが 王国を作ってすんでいました。

のちにアメリカになったのが明治のころでしょうか、ハワイ王朝から 皇室に花嫁を迎えるなどという話もあったようです。

こういう、歴史話は ハワイの ビショップ博物館で 学ぶことができます。

わたしたちがハワイに行きはじめた 昭和の50年代、オアフ島もとっても雰囲気のある島でした。

先にも書いたビーチなども ワイキキは人が多いですが、アラモアナはさみしいくらいの人の少ないのんびりできるところ。

毎回、人種不明なほど焼き上げました。

ワイキキは 人工ビーチすが、アラモアナは もとからあったらしく、でも 南の海の白砂と青い遠浅の海でよく泳ぎました。

遠浅といっても少し行くと まあ足はつかないくらい、潮がとても速く のんびり横に泳いでいても きがつくと 岸から離れて怖い思いをしたこともあります。

アラモアナは 昔からショッピングモールがあって 道路を渡れば ビーチに行けるし、便利で 子連れ時代は もう、アラモアナばかりでした。

最初の新婚旅行の時に ワイキキで 一緒のツアーの若者が 置き引きにあって 荷物紛失。その印象で 何だか、ワイキキをさけていまして、ほとんどそちらでは泳いでいません。

オアフ島は ノースショアといわれる北側にもきれいな海岸があり、波が高いので サーファーの 集まるところのようです。

最近はシャークウォッチングとかもできるようです。

わたしたちが泳いでいた時代は 観光トロリーで 北になど行けなかったので

いく習慣ができませんでした。

ホノルルのメインストリート、カラカウア通りはいつも メインストリート。

いまのように 観光トロリーが日本の旅行社や航空会社によって回されていないころは 市バスのザ・バスか ワイキキトロリーを使うか、タクシーか徒歩が移動手段。

わたしたちはバスか徒歩派ですので 大体歩き回りますが、そのころは バスを使う自信もなかったことも歩きまわりの原因ではあります。

今ではバスも電光掲示板がついて 次の停留所が どこかわかるものもあったりしますが昔は なにも放送はなく 窓の近くに渡されたひもを自分で この辺だと思うあたりで 引っ張ると 日本のバスで ブザーを押したのとおなじことになって

とまります。

その場所が自分の思ったところかどうかは きになるところ。

あたれば よし、外れれば 勿論携帯ナビなどないですから地図に頼ります。

市バス用のブックレット等もABCストアで売っていました。

このABCストアだけは ほとんど変わらず頑張っていますね。

コンビニ状態ですが チープなお土産屋 食品もあるので 便利なところです。

今でも40年前と同じ、お土産があったりして驚くことも。

ワイキキの街の中もアラモアナも ローカルのお店が たくさんありました。

今のようにブランドショップが 軒を並べることなどなかったのです。

ワイキキのダイヤモンドヘッド側のはじには 映画館がありました。

はじめての時にみつけて その時していた映画は プライベートベンジャミン。

ゴールディーホーンのコメディですが、そのころは 洋画などもあまり詳しくなく、よく知らないので どんな映画かもわからなくて看板を見ていましたが 今思えばコメディでしたね。

でも勿論、そのころ、映画が英語で 理解できませんでしたから みなくてよかったです。その映画館のまえあたりをあるいていたときに突然アメリカ人の観光客とおもわれる 白人のシニアの男性が何かの発作かを起こしたのか、ばったりたおれて 驚きました。

周りに人がいたので 直ぐみんなが助けによっていきましたが、大丈夫かなーと思ってあげることしかできない英語のわからん日本人カップル。

おもえば そのころは ハワイは アメリカの人が バケーションに多く来ていましたね。

今では世界中から人が来ていますが、アメリカ人の国内旅行先という感じがより強い時代だったようにおもいます。

そのころからある ハレコアというホテルは アメリカの軍関係者や退役軍人の方などが多く利用するところで ふつうの人は入れませんが 素晴らしいところのようです。今でも変わらずありますね。

ワイキキのはずれヒルトンホテル群のある傍らのうみがわにあります。

ハワイで有名でずっと変わらないところ、いくつも他にもあります。

微妙にマイナーチェンジはありますが、日本の目まぐるしい推移から考えると寿命は長そうです。

ドールのパイナップル工場見学コースも昔からあります。

最初に行ったとき、取れたてのおいしいものが たべられるだろうと楽しみに行きましたが まだ酸っぱい若いものが 出てきて 塩が添えられていたのを覚えています。

いまでも 観光的には大きくしていますが 一度で懲りてしまったので いまは 甘いかどうかもわかりません。

シーライフパークや パールハーバーの記念館、ポリネシアン文化センターなども古くからあるものですね。

ビショップ博物館なども古いです。アクアリウムや動物園も古いですが 中身は結構変わっています。でも ところ。小規模でも相変わらずにぎわう楽しいところ。動物園などが在る側のクイーンカピオラニ公園のあたりでは コダックショーというフィルムのコダックが スポンサーになる無料のフラショーが あったのですがこれも最近は みかけない。

日本がバブルで わいたころは世界もわいていたのか、いろんな無料催しがあったような気もします。

ハワイに行くのにも安くて 5泊7日なら49800くらいで いけたり。

いまは かのてるみくらぶもつぶれ ハワイは結構価格のはる旅先になっていると思います。

結婚して10年くらいの頃が丁度バブルになりつつあり、そのころこどもが 二人いたので子供たちは しょっちゅう ハワイに行く恩恵にあずかりました。

もう少し、ハワイを思い出しましょう。

値段勝負ではなく、こだわりの内容のツアーを追求している旅のエキスパート






 

 

小説クルーズパラダイスーカリブの風は何色?

”はああ~やっとついたわね~

”ああ とおかったね~ おお、フロリダの陽ざしがきつい・・・

生成りの 麻のジャケットの腕を顔のまえにかかげて 鷹也が 日差しをよける

今回、二人がやってきたのは アメリカのフロリダ、フォートローダデール。

1週間のカリブ海クルーズの 出発地である。

日本からは 太平洋を越えて アメリカの東海岸にわたり、トランジットを2回、やっとの思いで 到着した。

最後のトランジットのアトランタでは 街のホテルに出ようかと思っていたが

空港近くは 何かのイベントがあったらしく 値段が 高騰した上に 部屋がなく

仕方なく 空港夜明かし体験をした二人である。

春も深まった3月末の 日本を出発なので まだ雪があったりするボストンや そこそこ涼しい アトランタ空港をへて たどり着いた フロリダは常夏の陽ざしさんさんで 空港まえに並んだタクシーは スモークの窓を光らせている。

フォートローダデールは クルーズ船の発着場所として有名なところ。

カリブ海へのクルーズ船の多くがここを起点に出発するらしく、思ったよりこじんまりした、空港の出口周辺に 船会社のブースがみえる。

係員もあちらこちらで 旗をもって誘導してお客が 並んでついて回っている。

ふたりも今回は 船のトランスファーを頼んだので 係に拾われて 時間待ちをさせられている。アライバルゲイトの外は もう すっかり、フロリダらしくエアコンが効いていないところは 懐かしいくらいの 真夏の雰囲気である。

いくつかの飛行機のお客を 集めてから 荷物をもってバスへと 移動。

大型観光バスでの移動、ハワイを思い出すような フロリダのハイウェイから

殺風景とも思える、クルーズのターミナル方面へ。

コンテナが積んであったり、燃料のもののようなコンビナートなどが並ぶ

道へおりて埃っぽい中を走っていくと 遠くに確かに クルーズ船がずらりと並んでいる。

アトランタで しっかり寝られなかった二人は うとうとしていたが その居並ぶ船に那美がきづいて歓声を上げる。

”ほらほら、 あそこ、あそこ、 あれはノーウェジアンね、ホーランドもいるし、

あのマークはプリンセス!

確かに広い岸壁だが、巨大なクルーズ船が ちまちまと縦横に詰まっている景色は

何だかかわいらしい。

”すごいね~さすがなフォートローダデールかな、鷹也もサングラスの奥から

へええと みなおしている。向こうに見えるのは めざすセレブリティ。

今までのアジアや日本とは違うクルーズといえばカリブ海というくらい メジャーなクルーズのメッカともいえる場所にとうとう やってきたと 子供みたいにワクワクの那美なのだ。

アンのおしえてもらったアメリカのサイトで いたくリーズナブルだったうえに カリフォルニアにいるおばの住所も借りられたので スムーズに 予約もうまくいった。

何でもジャパンプレミアムなので 海外で買えるのは インターネット時代のお得でもある。

クルーズにはまった那美としては あこがれの聖地でもあるカリブ。

何度もいったことのあるハワイでも いつも 飛行機から降りると独特の香りがあって

”ハワイに来たー と感じるけれど、ここでは また違う南の香りがするような気がする。

ターミナルをぬけながら 飛行機疲れが 暖かい風に吹き飛ばされていくような

かんじがして 足もかるく 船を みあげて 胸が高鳴る那美だった。

 

 

 

小説クルーズパラダイス―クルーズの魔力にとらわれて

船はよるをすべり 港へ向かう頃~

”どう?なにかきずついちゃったのかなあ?

まったくひとが センチメンタルにはまっていい気分なのに ちゃかすんだからと

那美はむっとしてみせる。

”いや、なかなかよかったねー 偶然会えたりもしたし、これって縁がふかいってやつだろ、やっぱり ぼくのおすすめは あたってるんだよ

寄港地を後ろに もうすぐ横浜へ向かう最後の夜。

明日目が覚めたら 魔法の国から帰ったアリスのように 現実に到着する。

那美の場合は魔法の国ならぬ 波の王国だけど。

”わたしね~ もう一生船を追い求めてしまいそう。

しっかり、錨おろされちゃった感がある。今まで どこにもこんなこと感じたことないのに。また行くでしょう?

鷹也がいかないなら私一人でも行っちゃいそう。

”おいおい、誰が 行かないって言ったんだい。時間が許す限りお供させていただきますよお。

鷹也はにやにや あくまで からかいモードである。

ふたりで 海外もあちこちツアーとかでいったけれど クルーズは 何か違うものを 彼らの中に植え付けてしまった。

那美は この 先行きどこにどの船でいこうか おりるまえから 考え始めている自分に驚きながらもだから フューチャークルーズデスクがあるわけだと納得したりもする。

クルーズは旅だけど いそがしく移動するというより 毎日自分が ドラマの中のヒロインになったような 気分で過ごせるものだった。

クルーズ自体が 非日常である。またそれが望めば ずっと つづけられる。

でもたとえ、一年乗り続けてもそれが 日常となることは なくて ずっと 魔法の世界にいられるのだ。

この 世界で 一番長くつづく ワンダーランドねと

デッキからみおろすと くれ行く海は 小さい声で くすくす笑いながら 今度いつ会えるのといっているように思える。

”さあ こんどは いつどこへ行こうか?

どの船にする?

”はいはい、では わたくし目にお任せを。いいの お探ししちゃいますよ。

PCなくて 残念しばしお待ちをだ。

さて そろそろ、ラストディナーかな。今夜は着替えないの?

”私は 着替えようかなあ 船にしばしのおわかれだから ご挨拶かなー

デッキのステージで バンドが 演奏を始めた。

潮風は寒そうだが ラストナイトパーティで パッキングが終わったらしい人が

集まってくる。

それぞれが きっと 魔法につかまって 踊らされてるのねーと 思いながら

階段を 降りる二人の 後ろに夜空が 広がり始めていく。

緊急報告コモド島閉鎖へ―コモドドラゴンを守ろう

コモドドラゴンは貴重な 大型爬虫類です。

インドネシアのコモド島とリンチャー島に生息し、大事に保護されていますが、

個体数減ってきていて、インドネシアが憂慮して 、2020年からの 観光客のコモド島への入島を禁止すると決められました。

リンチャー島へは 禁止にはならないようです。

実際にいった方によると、 コモド島は かなり管理されていて リンチャー島のほうが 野生感が強いとか 言うことのようです。

ですが、こちら巨大なうえに、 いたって、危険な 生物。

人間は 勿論食事としてみなすであろう、猛獣です。

それこそ、ティラノザウルスなどの 古代の恐竜を思いおこすような 生き物で、

みたいとあこがれる方も結構、いらっしゃるのではとおもいます。

嫌いな方は 絶対嫌いですけれどね。

わたしは見たい派。

この閉鎖の記事を見たときは 大ショックでした。

最近は クルーズで 旅行に行くのにはまってまして、旅行は 船ばかりで

そういえば コモド島を通る船あったなとしらべて みたのですが、

ええええええー 年内には ほとんどない。

帆船のウィンドスターでバリから行くのがありましたが、訪ねるのは 1日だけ。

ほかには バリ島から オプショナルツアーで行くことが多いようですが、

けっこう、値段は弾みますし、バリは今あまり 興味がないところで、

でもな何とかと捜してみましたら、 ありました。

クラブツーリズムで コモドドラゴンに会いに行くことを重視した、添乗員さん付きのツアーです。

ほかに、ピンクビーチや、蝙蝠の群れもみられるらしいし、コモド島とリンチャー島両方まわりますし、ばっちりです。

これは もう 行くしかないと 問い合わせました。

年内何回かあるようです。

そして 、知りませんでした、大事なことを知らされました。

ななんと、74歳になると コモド島には 入島できないらしいのです。

その微妙な 74歳という年齢の意味はよくわかりませんが、インドネシア政府が決めていることらしといのです。

あの、コモドドラゴンのスピードから逃げられないからか?!

とも、おもえます。そして、なおかつ、このツアーは 暑い中トレッキングになるので 大丈夫でしょうか?とも言われました。

その辺は 結構大丈夫そうです。

インドネシアは 熱帯なので雨季は 雨が多くて暑い、夏場が乾季で暑いが、日陰なら爽やからしい。

そして 虫はたっぷりいますので、虫よけも必須です。

このように いろいろのことがありますが、やはり、あのドラゴンに会いに行きたいですね。

地球の気候はきびしくなるらしいし、絶滅してしまう生物も増えるらしい。

できることなら 今行くのが いいかもしれません。

閉鎖も1年といわれていますが、確かではありません。

貴重な生物を保護するためには 大事なことですが、見せてもらえるうちに

いける方は トライしたらいいかもしれません。

 







頑張った主婦の海外旅行記―ネット無しデジカメ無し英語下手でも世界へ出かけました

本が大好きな子供でしたので 世界には ずっとあこがれは持っていました。

亡くなった祖父に 英語ができたらアスワンハイダムのアブシンベル神殿に連れて行ってやるとによく言われていましたっけ。

じっさい、英語ろくにできなくても、実はアブシンベルには 行けたのですが。

今は クルーズにはまっていますが、 縁で 学校卒業後すぐにお嫁に行ったわたしは初めての海外旅行は 新婚旅行のハワイした。

短大出て直ぐ、2か月後。

結婚式よりは一週間ほどあとでした。

嫁いだ相手が 結構な海外志向の人で ラッキーなことにそれから子供なしでも子供連れでも 子供いなくなった後もいろいろ、旅することができました。

バブルのころも結構、行きましたし、もちろん昭和の終わりごろもいきました。

そのころは インターネットがないので 電話や雑誌やパンフレットを駆使して 安いツアーを見つけたりしましたし、 デジカメも携帯ももちろんないので、最初は8㎜フィルムというものをつかって ふつうのフィルムカメラです。

ですので 記録はアルバムかフィルムなので 写真を載せることが できません。

でもいつも面白いこと驚くことも ツアーでもそうでなくても満載でわたしはいつも 旅の虜でした。

たいへんなこともトラブルも多少はありましたが

飛行機事故にもバス事故にもテロにも巻き込まれずに今まで やってこれました。

この運命に感謝して また あの面白い思い出を 思い出してみたいとおもっています。

2014年からは はまった クルーズで 陸系の旅行はめっきり減りましたが

その中でも 特殊な場所などやシチュエーションは やはりツアーを使うこともありわずかに写真をお見せできるかもしれませんが、

基本ほら吹き男爵波に、面白い楽しいとおもえるお話で 楽しんでいただきたい。

さあいままで 自分では数えて居ませんがいくつの国に行けたことでしょう。

まだまだ、残ってるところも多いかもしれません。

昔のその場所が今と全然違うこともあります。

けっこうかわった場所は いくつもありますが 何度も言って、その変化を目の当たりにしてきた場所とおもえるひとつがハワイです。

そうそう、私のハネムーンの場所。昭和のころはハワイのハネムーンっていいところになっていたようです。

私の両親の時代、昭和の中頃は まだ 熱海とか箱根や伊豆大島などでしたが

もう私のころは やはり、海外。で、やはり南国の海で、ハワイでしょう。

夫の学生時代の友人が住んでいたこともあって ハワイへ、これも親戚のコネで

キャンセル待ちのツアーをゲット。

ハネムーンキャンセル待ちって・・・とその時、新婦のわたしは思いましたが、

どちらにしてもハワイは魅力でした。

近畿日本ツーリストのツアーで 宿泊はアラモアナホテル、これもえーワイキキじゃないんだと若いころ故、思いましたね。

言ったらとても良かったのですが。

まず、このツアー、添乗員さんが」ついていらっしゃいましたが、どうもハワイというのは まるで添乗さんの研修ツアーのようなものだったらしく

サラリーマン風のスーツに大きな通勤バッグを斜めがけ(このころは客のパスポートを預かったりしてましたねそれ用でしたかも。)

飛行機から、降り立った時もだいぶ、よれられて、大丈夫かという感じでした。

わたしは初めてだし、英語もわからないので 添乗及び、夫にしっかりくっつき、夫は スーツケースにたっぷりの8㎜フィルムと片手に8㎜カメラを持ての道中でした。

ごく一般的に タンタラスの丘やパンチボウルなどを回り、カメハメハ王の像にも拝謁。

ホテルは 昔から3時過ぎにチェックインです。

そしてついたアラモアナホテル。

いまは高級ホテルでクラスも上ですが そのころ、昭和のころは

何っと ロビーに屋台がいたんですよ。

あのインスタントラーメンのチャルメラの袋に書かれているような あの屋台が

ロビーにです。

色んなものを売っていましたが、印象として覚えているのは おにぎり。

のちに息子を連れていき始めたときしばらくお世話になった屋台でしたが、数年後には無くなりました。

お部屋は アラモアナビーチが見渡せるし、隣は アラモアナショッピングセンターで 実はとても便利でした。

でも最初は わからなくて 夕食をどこかで食べようと裏のほうへ探しに行って

シェイキーズがあって はいって 注文したら 直径40cmはあるピザが2枚きて おおびっくり。

アメリカはなんでもデカイときいていましたが、🍕で実感。

ツアーは ホノルルとオプションで カウアイ島にゆきシダの洞窟を訪ねるオプションをさらに入れてありましたので、ホノルルにいるうちに 夫の友人に会うことに。

車でホテルに迎えに来てくれて、裏のほうの 西海岸とか そのころ、車で行ける限りのところを回ってくれました。ドールのパイナップル工場見学は今でもありますね。レインボーシェイブアイスなどもそのころからありました。

そして こんどは ダイヤモンドヘッド側に行ったときに 新興の住宅街に案内され、一つ買わないかこれからいいと思うよと勧められたことがありました。

そのころの日本円で 800万とか一千万円くらいといわれたところ。

途中立ち寄ったモールは さびれてなにもなかった記憶があります。

友人はこれからいいに違いないので 自分も資金があったら、買いたいんだがと

熱心に言ってました。

そこがいまやあの有名なセレブの別荘の立ち並ぶカハラモールでした。

本当、買っておけば 今頃こちらもセレブになれたかもしれないですね。

そういう意味でもハワイはどんどん、変わってきています。

インターナショナルマーケットプレースの屋台が立ち並ぶお土産屋の固まったワイキキの名所も数年前になくなって おしゃれな ビルのモールになってしまいました。あの屋台の人たちはどこへ行ってしまったのでしょう。

ハワイは 新婚旅行依頼、家業の関係でも用事があったので 定番の旅行先となりずいぶんと通いました。

アラモアナショッピングセンターもその間にとても変わったんですよ。

昔は地域のショッピングセンターでロコが通ってきていました。

いまは 高級品などが たち並び、店もくるくる入れ替わっています。

昔は 白木屋という 日本の三越デパートの 前身の白木屋ので店が 大きくあって日本風のものや食品がおおくうられ、にぎわっていました。

デパートもリバティハウスというアメリカのデパートと シアーズ、jcペニーというストアだったのが ニーマンマーカスなどの高級デパートに変わりそれも 結構出たり入ったり。

ローラアシュレイも28年前くらいはまだ、アラモアナショッピングセンターに出店もしていました。

でも 街は変わってもあのアラモアナ公園からビーチに行く道とか橋とかは結構変わっていなくて懐かしいです。

あのビーチは それこそ新婚のころは 人が少なくてまだ禁止されていなかったので,早朝にビーチで鳥のパンくずやポテトチップをまいて呼ぶとたくさんのとりがあつまってきました。

ふつうのハトや白いはと、発情が「ぽぽぽぉーとかわいいウスユキバト、スズメ―ハワイのスズメは 大きいのと小さいのがいます。

そのほかに九官鳥ぽいウィキウィキも。

そのほかに有名なカーディナルもきて 感動でした。

あのビーチでは しばらく 鳥寄せができましたが、いつか禁止になりました。

今は出来ませんが ピクニックなどをするとやはり飛んできます。鳥といえば

文鳥は ハワイでは 野鳥でした。

ワイキキと アラモアナとの間くらいの軍の博物館のあたりに大きな芝生があって

文鳥が 幾羽も飛んでいました。

何処かから逃げ出したのかとおもいましたが、どうも野鳥の様でした。

そんな文鳥たちも今はあまり見かけません。

ダイヤモンドヘッドがわの カピオラニ公園のあたりには まだ飛んでいるかもしれません。

ハワイは子供と年寄りにしんせつですし、気候もよいし、日本からも程よい距離で

本当に行きやすい観光地。

そして 意外と蚊も少ないのです。

そして 、野生では へびが居ないんですよ。

これは ハワイはサンゴ礁や火山の隆起でできたかららしいんですが、

後から、書きますがオーストラリアなどは 怖いものが いっぱいいるようです。

ニュージーランドとハワイはへびがいないんです。しつこいんですが、そのせいで多くの鳥がいたんですね。

古代のハワイ人の素晴らしい鳥の羽根を使った装飾品が博物館でもみられます。

家じゅうでハワイに行きまくりましたので 東京に50年以上住んでいる私が

銀座にいった回数より、ワイキキにいた数のほうが 多いくらいです。

もう少し続くハワイ話です。

<a href=”https://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=35DJ1T+3KN6I+2ZBM+63OY9″ target=”_blank” rel=”nofollow”>
<img border=”0″ width=”728″ height=”90″ alt=”” src=”https://www29.a8.net/svt/bgt?aid=190427825006&wid=002&eno=01&mid=s00000013909001025000&mc=1″></a>
<img border=”0″ width=”1″ height=”1″ src=”https://www13.a8.net/0.gif?a8mat=35DJ1T+3KN6I+2ZBM+63OY9″ alt=””>

 







小説クルーズパラダイス―船旅で 人生模様は波柄に

“基隆も なかなかいいところでしたわね”と

テーブルメイトのマダムは すこぶるごきげんである。

“台北にはきたことがありましたけれど、こんな港町でも 結構、楽しいのですのね。お土産もかえましたし、 市場も面白かったし、船ならではですね”と

自分から、今日の寄港地の話がでてくる。

那美たちは 昼間は 船の中であちこちいっているし、その行先がちがうのか、

毎日のディナーのテーブルメイトの日本人とはめったにであわないのだ。

不思議と、仲良くなった外国人とはしょっちゅう会うのだが。

それで 顔を合わせるのは ディナータイムなのだが、 一人で来ていた男性は いつの間にか、姿を現さなくなったので バフェや有料レストランへ行っているのかもしれない。

一人旅の女性は カップルの中で、ひとりになってしまったせいか、 余り話し好きではないようだし、 日本酒好きのご主人の奥様と那美たち二人が 話をするくらいになっている。

その奥様も さすがに ご主人が ぐいぐい行くので ちょっとけん制気分で 時には 余りご機嫌のよくないこともあるようになっていた。

クルーズも後半になり、あと少しのシーデイで 横浜へ向かっている。

でもその中で 最後の台湾の寄港地の基隆が 奥様の気分を変えてくれたので 那美はほっとした気分になった。

鷹也は明るくてお喋り上手だが さすがに一人漫才となるようなことは避けるので

あまり盛り上がらないテーブルだった。

ウェイターもいい人だがおふざけをするようなこともなく 上品に淡々とサービスをしてくれていた。

夜は催しが忙しくて 那美もショーなどに急ぎたいので 余り話しが盛り上がってもそれはそれで 忙しいし、まあ程よくてよかったのだ。

でも 今晩は ちょっと寄港地の話で、にぎわった。

この船では テーブルも時間も決まっているので 同じ顔ぶれで クルーズ中デイナーを食べることになっているがどうも あちこちで 聞いた話では 船によっては 時間が決まっていなかったり、 レストランもあちこちいけたり、二人席で ずっとということもあるし、千差万別になっているらしい。

二人席ならともかく、 人数のある席では 一応礼儀として 食事と会話も楽しまなくてはならないのだ。

カっプルで座ったからといって、二人だけで話のは失礼なので、周りとも、話題を共有しなくてはならない。

政治と宗教の話はひかえたほうがいいなどと書かれたものを呼んだこともあったし

休暇を楽しんでいることになるわけだから、あまり仕事の話も 避けたいところである。でも、なぜか、やはり、仕事をきいたり、 家族事情などに話が向いてしまうこともあって、うまく話を変えたいと那美はいつも苦労する。

鷹也は 仕事の話はリゾートですることを嫌うのだ。

別に隠れているわけでもないけれど、自分の気持ちがくつろげないからということらしい。それでも、 このテーブルでは 結構聞き出されていた。

本人たちも自分の事情を話したくて しかたがないらしく、そういうことは 結構きかされた。

みんな、それぞれ それなりに問題があったりするらしく、ついペシミスティックな 話になっていきがちで ”あ また”と 思うと 那美は ”すみません 00が始まるので ~”と席を外させてもらうほうに持っていく。

鷹也は自分は聞かれたくないが結構よその人の話は  うンうん聞いてしまうほうなので、あっそうだねとか慌てて、ナプキンをテーブルにおくようだ。

命の洗濯といえそうな クルーズなのに、家のことを引きずってみんな大変だわと 那美は思うが 鷹也に言わせるとみんな、こぼすのを楽しみにしているんだよとのこと。

旅の恥はかき捨てというけれど 皆、自分の中のもやもやもこの広ーい海の上の船から捨ててしまいたいのかもしれないなーと那美はおもう。

那美自体は それはいろんなことはあっても ここに来るともういいやとおもえているし、この先も次のクルーズのことばかり考えそうだと クルーズ中毒の兆候は あらたかである。

クルーズライフ自体がドラマの中の様なのに さらに 色んな人のドラマが 聞こえてくる 不思議な空間である。

海風にふきよせられて 人間模様まで集まってくるのかもしれない。

那美の模様は 波の形に 書き換えられはじめている。

クルーズに のると人生に

海が組み込まれてしまうのだ。

小説クルーズパラダイスートリビアで燃えろ、グローバルな戦い?

“Noo,Nami これはね パリノアメリカ人よ

生粋のニューヨークっ子の ケイトが自信ありげに 答えを書き込む。

那美も パリのアメリカ人なのは 承知の上だが、 問題は 曲名でかかっていたのは ラプソディインブルーで 那美も好きな曲だから 自信はあったが 、アメリカ女性の自信の前には それを説明する時間もなく 次の問題へと進む。

結局、那美があっていて、 オージーのジェフが 那美がなんだか、言ってたよねこれ、自信もってよ~という羽目になった。

面白いことにアメリカのレディは ほとんどが 間違えても”アラ おかしいわね”と

自信は ゆるがないのだ。

日本人は つい、外人に ”本当に? Are you sure?”といわれると よく知っていることでも ”えーとぉ

となってしまうのだ。

那美は日本人的でないと自負していた 自分が 日本人だったことに 改めて驚いてしまう。鷹也はまた 留学が 長かったので ちょっとかわっているし、 トリビアには ほとんど顔を出さないので どうなのかさだかではない。

でも 参加して、いろんな国の人と 一緒にするたびにお国柄を 見て取れるのが 結構面白くて 那美の隠れた楽しみなのである。

もちろん一概に言えることではないが おおむねの雰囲気というものがある。

日本人の中でも関東と関西、こまかくいえば 県違いでも結構違いがあるから

それの世界バージョンになるのだ。

スコットランドの 若い新婚さんは まだ20代後半だというのに 本当に物知りで

那美と3人だけのチームだったのにほとんど正解で、驚いた。

那美などは 問題を 理解することから始め、答えを日本語で 引っ張り出して それを翻訳しなければならないので もう大変。

後は スペルがわからないので ローマ字風にかいたり、 果ては 絵をかいて

”この象の絵 うまいねーと妙なお褒めをいただいたり。

英語の訓練とトリビアのゲームと 脳トレには最高、日本でもやってほしいと おもったりしている。

船の中では以外とトリビアファンが多く、

マニアに至っては強いチームで 結託して勝ち続けたり、アマチュアは引っ込んでろなどとの 発言をされて憤慨するカナダのレディもいたし、なかなか、静かだけど燃える催しになっているのだ。

一般のものと 音楽系があるが、 一般の出題は スタッフに任されていて それは多岐なところから出されてくる。

何で、そんなこと知っているのと思うほど なんでもしっていそうだが、 ネットのトリビアゲームでもかぶっている問題があったり、知る人ぞ知るものがあったり、那美は そのジャンルの広さも楽しい。

0000年のツールドフランスの優勝者はだれ?とか、 スポーツ系でもマニアックだったり、 このセリフで始まるシェイクスピアの作品を選べだの、動物系は 強いと思っている那美でも 心配になるような問題も出るとおもえば、ごく 簡単なものもあったり、簡単でも世界はメジャーでないものを那美がしっていて ”おおお Namiがいてよかった!!となったり、まあ悲喜こもごもではある。

でもお互いに頭を寄せ合って 解いていくとなんだか 親しくなるのがかんたんなのだ。

那美の最初のトリビアのときに、さそってくれた フィリピンのオフェリアのファミリーは 本当に賢くて親切、問題も悩んでいるとさっと 簡単に言い換えてくれ、そして 強く、何回も景品をもらえて大喜びしていた。

景品といってもちょっとした、船のブランドのロゴなどがついた小物だが 何となく、みんな、かちたいようではある。

那美などは 勝ちたいけど所詮ゲームだし、英語力もいまいちだしと思っているが

まにあなチームは 出題のスタッフにクレームを入れたりもする、しつこいやりとりをしていると そんなことに、うるさいぞと 正義感のおじさんなどが 大きな声で 横やりを入れ、その奥様にそんなことにくちをはさむなんてと たしなめられて、”でも だってあれだろう・・・とか 大きなオージーのオジサマが 小さくなってかわいらしいことになる。

都会風の年配カップルとしたときは 答えがあっているたびに 答えを考えたご主人に奥様が “ぐーっどぼおいぃ”と 微笑みかけるのが 何ともステキだったと

その日のディナーの話題になった。

それでも参加する、日本人が本当に少ないのが さみしいといつも思う。

日本人と組みたいわけではない、実際多国籍で組んだ方が

やはり正解率が高い、ジャンル別にいろいろ、知っているわけになるからだろう。でも、日本人だっていろいろ知っているのに、英語力がなくて 参加してこないのだろうか。

日本人だけのトリビアを催すときもあるが、それもまた 外国人は参加できないし、せっかく 世界中の人が乗っているのに、もったいないとおもえるのだ。

実際、イスラエルの人と一緒になって 後におしゃべりして お国の話を聞けた。

日本にいたらできないことである。アイスランドとドイツ人のカップルにあったり、アメリカ人だって 住んでいる場所で感じが みんな違うし、オーストラリアやヨーロッパでも そうである。

世界中がいろいろな多様性を感じられるのが クルーズとわかってきた那美だが、

トリビアではさらにその多様性のもっとおくが みえてくると おもっている。

人生の勉強の場になる クルーズねと 鷹也にいった。

 

小説クルーズパラダイス―オフィサーズボウルでクルーズの夜は廻る

”さあ Nami おどろう

カナディアンのウィルが さそいにくる。

ここは 船のラウンジで オフィサーズボウルが はじまっている。

オフィサーズボウルというのは フォーマルナイトの行われることの多い 催しで

普段操舵室に詰めていて 会うこともあまりないような 上級オフィサーが 礼装に身を包んで あらわれ、 乗客と ダンスを踊るというものらしい。

昼食のテーブルで いっしょになった カナダ人のカップルに ”ぜひでましょう、たのしいわよ”とさそわれ ダンスなど自信のない那美は みるだけでもとやってきたものだ。

鷹也は 海外で、留学だの仕事だのの経験があり ダンスはすこぶる上手なのだ。

日本で育った那美には とんと縁のない物だったので それこそ”いやいやいや~

となってしまう。

会場は 比較的 狭いラウンジなので つめかけたひとで 一杯ではある。

礼装のスマートなオフィサーが壁際に並んでいる、女性オフィサーは 白のミリタリー風のジャケットに思い切りスリットの深い濃紺のタイトスカートに ヒールのパンプスで それもまた かっこうがいい。

はじのほうにいる ちょっと華やかな かたまりは ショーダンサーたちで、 鍛えられた体にドレスやタキシードが ピッタリで 映画のシーンの様。

お化粧だけは ちょっとドレスダウンで 中欧からの女性など目を見張るほどの美女だ。

”いいねいいね ̄キレイどころがいっぱいだなあ

鷹也は 目の保養にいそがしい。

立っている側と反対の入り口からくだんのカナダ人カップルがやってくる。

彼らは リタイアした 学校の先生で おおがらの ふっくらした感じの良い人達である。奥様の マリアは あかるくて ユーモアの利いたおばさまで 食事の席で 言葉を交わしてすぐに親しくなった。

ご主人のウィルは 背の高い太めのオジサマで これも 良い感じの人である。

アメリカの人とは ちょっとちがう 押しつけがましくない 話の しかたなどで

那美の自信のない英語にも くったくなく 話してくれる。

さすが元学校の先生だ。

”どう、もうすぐはじまるわよ ほらキャプテンがきたでしょう。

オフィサーズボウルは キャプテンと 高齢の 素敵な マダムのダンスで 始まるらしい。

アナウンスでは 乗客の中の 一番乗船時間の長い人となっていた。

相当の高齢に見えるマダムは 壮年のキャプテンにしっかり寄り添って レースのドレスをひらめかせている。

曲はっゆったりしたワルツ。足はしっかりステップを踏み くるくるフロアーをまわっている。

一曲終わり サイドにきたマダムが 杖を突いたときには 驚いた。

足が悪いか何かなのに あのかろやかさ。

侮れないレディではある。

そして次のアナウンスで 催しの中身が分かった。

各オフィサーは くじ引き状態になっていて 誰かと踊って1曲終わると あたりのオフィサーが発表される。

あたると その相手の乗客は オフィサーについていた商品、シャンパンや オンボードクレジットやレストランの食事券などが もらえることになっているらしい。

曲が流れ様子の分かっている乗客たちは 一斉に オフィサーの並んでいる壁にいって くるくると踊り始める。

”ねえねえ 大変だね^海の男は 踊れなきゃならないんだよ

”男だけじゃないわよ女性もでしょ

アジア系の数名のオフィサーが残り気味だったが カナディアンのマリアは

”わたしは 彼と踊ろうかしら

と進み出ていく、その彼は フロアーでは 他より滑らかにすべるようにおどって 大柄なマリアを 軽やかに回したり 流したり あつかっている。

とても楽しそうだ。

1曲終わるごとに 発表があり歓声が上がりまた 次へと みんな入れ代わり立ち代わり踊り続け、オフィサーは 休む間もなし。

”ほらほら 那美おいで、

”私は踊れないんです~”大丈夫 大丈夫と ウィルが フロアーに那美をつれだした。

曲は 簡単なブルースだが 那美は ダンスのステップもしらないので ウィルの足を踏まないかとひやひやである。

でも 彼は2mちかい大男なので なんだか自分が 小さくなったようで ちょっといい気分である。

そして 上から うでをとって くるくるまわされてしまう。

ああ、みんなこうやって くるくるになるんだと 心の中で おもいながら 次第に おんがくになれてくるようだ。

”ほーら 彼女大丈夫おどれるよと 額に汗して 鷹也のもとに那美をもどしながら ウィルもたのしそうだ。

”ねー 楽しいでしょう これは逃せないイベントなのよー

マリアもおどりおえて カクテルを片手に 一息ついている。

ダンスって けっこう運動量のあるものなのねと おもいつつ、 那美は ウィルにお礼をいった。

次の曲は今度はカップルで フロアーに出ていく、

”あれは やっぱり若いころ相当一緒に踊ってるね

大柄な おばさまとオジサマは いとも軽やかに フロアーをまわっている。

ふたりして 一生 ぴったりよりそってきて いま リタイアライフを楽しんでいる お手本にしたい カップルである。

日本人の社交ダンスを習っているカップルの踊る硬い感じのダンスではなく

可愛いくらいにぴったりなのだ。

フロアーの隅では つれてこられて退屈している 6歳くらいの女の子の相手を

美女ダンサーチームが している。子供は ご機嫌そうで 上手に相手をしているのがわかる。

夜は 更けてもダンスは続く。生まれて初めての舞踏会デビューの那美だった。

 

小説クルーズパラダイス―誰と行く何故行くクルーズそれぞれの旅

”year!  もいっかいね。 one two one two

オージーのシェインの 日本語ちゃんぽんの 掛け声が響く。

(もー だめかもー

那美と クレアが 腹筋トレーニングクラスで 汗をかいて 30分。

最初は アンとであった 朝のストレッチで 気軽に心地よくしていたが

そのあとの 腹筋トレーニングに 気が引かれ のこって続けてみたのだ。

20人ほどいて スタジオが結構窮屈だったのに 残ったのは 結局 那美とクレアの二人だけだった。

クレアは アメリカ人のニューヨーク美人、金髪の形の良いショートカットの長身の素敵な 人である。

なにせ 二人しかいないので 自己紹介しあい シェインに言われるがままに

体を動かした。

最後の向いあってのクランクでは 汗が ぽたぽた滴り落ちる。

クレアの顔も真っ赤である。

”OK~ ありがとございました~Thank you good job you too!!

きついけれどそう快感もある トレーニングを おえて 二人で よろよろ立ちあがる。

”部屋で シャワー浴びなきゃね、という那美に ほんとほんとと うなずいて

ふたりは ジムを後にした。

まだ 午前中の朝も早く 鷹也は おきたかどうかも わからない。

とりあえず、 バフェで コーヒーを飲んでいかなきゃと おもって かいだんをおりて いった バフェのテーブルで クレアが 手を振っている。

”NAMI! コーヒー?

”そうなのよ 汗かいたからねー

と那美が 向かいの席に 誘われるままに 腰を下ろす。

”イヤーきつかったね といいつつ、気分だけは 何だか爽やかで コーヒーがおいしく感じられる。

”Nami 一人できているの?

”ううん、主人とよ、彼は まだ 寝坊しているのよ今頃起きたかな、

朝食を食べにいかなきゃねー、クレアは?

”いいわねー うちの主人は クルーズが嫌いなのよ、

”そうなの、一人の人っておおいよね、

”そうねー

こんな美女一人で 出して しんぱいしないのかなと余計なことを考えつつ

今日何するのとかの話になって 夕方のミュージックトリビアを一緒にしようということになった。

“まかしといて 音楽は とくいなのよ!じゃあ 夕方ね Have nice day!

するりと立ち上がって いく後ろ姿に you too を おくる。

 

”かっこいいのよねー いかにもアメリカンな美人でねー 独身かとおもっちゃった

”いいね アメリカ金髪美人すきだなー トリビア見に行こうか

と ちょっと興味津々だった鷹也だが 結局夜の 時間前のナップタイムで ゆうがたの トリビアには 那美一人でいった。

この日は フォーマルナイトだったので 5時以降は着替えなくてはならないが、

4時半のトリビアは 集まっている乗客も 半々くらいのドレスアップ率だった。

ディスコラウンジの 紫いろのソファで始まりを待っている 人の間を抜けて

カウンターのそばの安楽椅子でクレアを待った。

”Hai~ Nami

白いシャツにデザイナージーンズのクレアは ニューヨークから そのまま着た感じで 嬉しそうに腰をおろした。

実際 始まってみると 他のトリビアのようにパワーポイントは使わず 要はイントロクイズで 別にチームも必要なく自分で わかって書き込んでいく形式だった。けれどやはりクレアと組んで正解。

最近ポップスなどを 聞く機会が なくなっている那美には 難題ばかりの曲である。

”マルーン5ね、曲名はえーと、と クレアは サラサラ当てていく。

那美が 協力できたのは イギリスのグループコールドプレイの Viva La Vidaくらいで もう後は エーなんだっけ きいたことがあるのに―ばかり。

一人でしたら惨敗だった、が惜しくもさすがのクレアも hip-hopのなんちゃらの

曲名が当てられず、優勝には手が届かなかった。

まったく、何でも知っている人っているもので 今回も パーフェクトのチームがあったので みんなで感心しあう。

”残念だったねー 次にまたね

着替えなくてはならない 女子2名さっさと 部屋へ向かう。

この後一緒に何とかとかなりにくいのが クルーズのいいところである。

さりげなく分かれどこかで出会ったら また こえをかけあうという、つかず離れずの知り合いい関係が うまく続く。

数千人乗っているのだから 知り合い全員と深く付き合ったら それは大変なことになるし、暗黙の了解なのかもしれない。

”これでいい?

小さいブートニアを つけた 黒いタキシード姿の鷹也は なかなか決まっている。

”うんうん きまっている。

那美は 濃紺の サージのドレスに同じ ブルー味のあるバラのコサージュを止めつける。ネックレスは しつこいので 無しにして大きめの サファイア風の垂れるピアスが 定番だろう。

銀のパンプスのストラップ横に ドレスの切り替えのプリーツが揺れる。

”ストールはいるわよね きっと寒いから

”シアターは冷えるかな もった方がいいかも。

銀の猫型の パーティバッグと 小さめの布バッグに夜空の宇宙柄のストールを詰め込む。

”ああそこの 金髪美人がクレアよ ほらあそこ

イタリアレストランの横に ドレスアップの行列ができている。

どうやら、会員のプライベートパーティがあるので 開場まちをしているらしい。

すっきりした長身によく似合う、リトルブラックドレスをまとったクレアが 脇の 若い娘と 話している。

大きな スタッドのエメラルドのピアスが 金髪に生えている。

話相手の子は高校生か 女子大生か シンプルな ピンクのふわふわした ドレスのブルネットの まじめそうな 子で クレアとなにか 話続けている。

こちらには気がつかないので 声もかけずに通り過ぎるが 鷹也は ふりかえってみてモデルなみにかっこいいねと 目の保養ができた、これだからクルーズは いいなとか何とかつぶやいている。

バフェで 話したときには 特に否定しないし ご主人がクルーズをきらいなのと さみしそうだったので すっかり 一人と思い込んでいたけれど、お嬢さん連れていたのとは驚きだった。

それもあんなに大きい子がいるとは夢には 思わなかったから。

でも 何時も体を触れ合っていないと離婚などと 夫婦が くっついているというアメリカ人に中で 子供だけ連れてクルーズにいつもだなんて 確かに淋しそうと思わず クレアの家庭環境に思いをはせてしまう。

あの列に並んでいる以上 相当数のクルーズに入っているはずだから いつも 子供だけを相手にひとりで 行くのかしら、日本では ふつうだけどなんだか アメリカでは つらそうだ。

自分たちのように 楽しみだけに来ている人もいれば そうじゃなさそうな人もいそうで クルーズは 不思議なところとますます思う那美だった。

 

 

小説クルーズパラダイス―ふたりで見た海の青

”ほら こんなに青くて 何だかよばれて吸いこまれそう_

”なみなだけに?

”つまんない、だじゃれね ロマンがないわね。

”軽いジョークですよ、海は青くて広くて生命の故郷だからね~

きっとよんでいるんだよ、いつも。

二人の立つ木製のデッキは パブリックフロアーの周りを回れるようにしつらえてある。

足にやさしそうな 木のデッキは 客船でもないところとあるところがあるらしいがこの船は 客がせっせと歩けるように一周回れるコースになっている。

時には チャリティのウォーキングイベントで みんなで 好きなだけ歩くのに参加料を寄付として集めたりもする。スタッフが リボンをはってゴールする参加者を迎えているのを 昨日見かけたばかりである。

新聞の中にチラシで挟まっていた イベントで うっかり見落として参加しそびれた二人だが 御馳走三昧の船内では ウォーキングも日課にしている。

途中、海をながめたり、 くだける泡を眺めたり、しながらおしゃべりしながら 歩けば 長さが 300mもある船だけに運動になる。

ところどころで おいてあるデッキチェアで お昼寝中の知り合いを見かけたり、

読書中の人に手を振られたり、熱心に写真を撮っている人が またトリビア仲間で カメラの映像をみろみろと 呼ばれたり、退屈しそうで なかなか退屈もできない忙しい船のなかなのだ。那美は ふと立ち止まってながめる何もないはずの水面のなかが 多くの生き物の気配で ざわざわしているようにいつも感じてしまう。

それは、大きなものから小さなものまで たくさん隠れているのだが なにも普段はみえない。

それでもその気配は おおきく うみから ゆらゆらのぼってきているようなのだ。

今まで海水浴やそれこそハワイもタヒチもモルディヴやフィジーにも行ったけど

こんな妖しい感じは 船のデッキからみて 初めて感じたものだ。

昼間は 太陽の具合や くもの具合で 色が 変わる大海原。

怖いようで 安心できるような 複雑な 気分になる。

夜は もっとすごい。夜間は移動のために船はスピードを上げるので 波も大きく砕けるし、白波も大きくたつ。

でも 星の光では 見えないので 真っ暗な海面なのだ。

長く眺めるのは 危険な感じが するくらい。

生物といえば 本州の西へ向かう清水を過ぎる頃に 夜のデッキで 海を眺めたら

白く光るものが たくさんすすっと 水面を飛ぶのが見えた。

UFOにしちゃ、ひくいし、 蛍じゃないし、光るのでイカでも飛ぶのかなと 二人で しばらく見ていたことがあった。

あとから、 スタッフに聞いたらトビウオが飛ぶのだそうだ。

イルカでも見られるかと楽しみにしていたのだが トビウオが見られたので

幸先いいと 喜んでいたが、実際、客船のデッキでイルカはほとんどみえないそうだ。

ブリッジからは 監視をしているので クジラやイルカを見ることはあるらしいが

お客の見ているところで見かけるのは まれらしい。

それでも デッキ歩きをしていると”あっ、あれ

と 声を上げてしまう那美である。

鷹也は 旅に”三角波、三角波

といなしまうのだが。

鷹也は あるきながら、船の設計もしてみたかったなーとふと いっていた。

男子は やはりそっちに興味があるようだ。

波間に白い航跡をのこして 進んでゆく 船に乗っていると 普段の家や雑事が 遠い世界になっていく。

勿論、旅だから、当たり前なのだが 何だか、帰るところがなくなったような感じ、つまり、帰らなくてもいい気分になってしまう。

これは全く中毒症状といえそうだ。

デッキの風が 全身を突き抜けていくと 海の成分が 自分にしみ込んだように那美は 感じるのだ。

船の楽しみにこんなこともあるとは 思わなかったと またしても 感心してしまう那美である。